- 著者
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日暮 吉延
- 出版者
- 鹿児島大学
- 雑誌
- 基盤研究(C)
- 巻号頁・発行日
- 2001
本報告書は、占領期における日本人既決戦犯の釈放問題を検討するものである。一般的な理解からすれば、戦犯裁判が終結したことで戦犯問題は解決したと見られるかもしれない。しかし実は戦犯問題は、裁判の終結後、拘禁・減刑といった管理面へと焦点を移したのである。そこで本報告書の目的は、講和条約の発効以前、すなわち日本占領期に時期を限定し、日本人戦犯の釈放がなぜ、どのように実施されたのか、同時期におけるドイツ人戦犯の釈放状況はいかなるものであったのか、講和条約の戦犯条項はいかなる意図と背景のもとに策定されたのか、を明らかにすることに置かれる。まず第一節では、連合国最高司令官総司令部(GHQ)の減刑計画が始動する政治過程を取り上げている。検討の結果、合衆国政府において戦犯の赦免構想は一九四六年頃から存在していたこと、GHQの減刑政策はドイツ占領と連動していたことが明らかとなった。第二節では、GHQがドイツ占領政策の進捗状況を追い越し、1950年3月7日に「回章第五号SCAP Circular No.5」を発することで、減刑のみならず仮釈放も実施していく過程を検討している。さらに、同時期におけるドイツとイタリアをめぐる政策状況を参照し、また内地送還や死刑停止に関する日本側の態様についても分析を加えた。第三節の対象は、対日講和条約第11条(戦犯条項)の形成過程である。初期の構想、草案の微妙な変化の意味等を詳細に分析した結果、日本側が戦犯裁判の判決を受諾する規定の意味、日本側に与えられた「勧告」権限の意味を明らかにした。以上は、先行研究がほとんどない未開拓の分野を一次資料で実証的に解明した研究成果である。