著者
日暮 吉延
出版者
帝京大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2009

本研究は、日本人戦犯釈放をめぐる戦後日本外交の政策と対応を一次資料にもとづいて分析するものである。研究代表者は、これまで戦犯釈放問題に関して、対日講和条約発効(日本の主権回復)の前と後に分けたうえで「連合国側の行動」を分析した。これに対して、本研究が取り組んだのは、1950 年代の日本外交が戦犯釈放問題でどのような行動をとったのか、この問題に関する事実を解明することである。そして、この「日本側の行動」は上記の「連合国側の行動」と統合され、研究代表者の「日本人戦犯釈放史」が完成することとなる。
著者
日暮 吉延
出版者
鹿児島大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2005

本研究は、サンフランシスコ講和条約発効後から1958年の日本人戦犯完全釈放までを対象時期としたうえで、日本人戦犯釈放をめぐる国際関係と政治過程を実証的に分析するものであるその目的は、講和条約発効後の戦犯釈放に関する旧連合国側の政策決定過程を仔細に検討し、いまだ不分明な1950年代における日本人戦犯釈放の政治過程に関する諸事実を発掘、解明することにある。裁判後の戦犯処理は、従来の戦犯裁判研究において看過されてきた問題であり、本研究は、日本人戦犯釈放問題に内外で初めて本格的かつ総合的な分析を加えるものと位置づけられる本研究課題については、厳密な意味での先行研究は存在せず、1950年代の戦犯釈放問題という研究上の空白を埋める役割が認められる。研究期間を通じて多数の一次資料・情報の入手、系統的な分析作業を行ない、講和条約発効後の戦犯釈放に関する旧連合国諸政府の対応がかなりの程度、解明されたそれ以前の時期、すなわち占領期の戦犯釈放に関しては、本研究計画の開始前に連合国側の政策決定過程を中心に検討ずみであり、それを本研究の成果と接合することで、占領期から講和条約発効後を通じた連合国側の戦犯釈放政策が明らかとなった
著者
日暮 吉延
出版者
鹿児島大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2001

本報告書は、占領期における日本人既決戦犯の釈放問題を検討するものである。一般的な理解からすれば、戦犯裁判が終結したことで戦犯問題は解決したと見られるかもしれない。しかし実は戦犯問題は、裁判の終結後、拘禁・減刑といった管理面へと焦点を移したのである。そこで本報告書の目的は、講和条約の発効以前、すなわち日本占領期に時期を限定し、日本人戦犯の釈放がなぜ、どのように実施されたのか、同時期におけるドイツ人戦犯の釈放状況はいかなるものであったのか、講和条約の戦犯条項はいかなる意図と背景のもとに策定されたのか、を明らかにすることに置かれる。まず第一節では、連合国最高司令官総司令部(GHQ)の減刑計画が始動する政治過程を取り上げている。検討の結果、合衆国政府において戦犯の赦免構想は一九四六年頃から存在していたこと、GHQの減刑政策はドイツ占領と連動していたことが明らかとなった。第二節では、GHQがドイツ占領政策の進捗状況を追い越し、1950年3月7日に「回章第五号SCAP Circular No.5」を発することで、減刑のみならず仮釈放も実施していく過程を検討している。さらに、同時期におけるドイツとイタリアをめぐる政策状況を参照し、また内地送還や死刑停止に関する日本側の態様についても分析を加えた。第三節の対象は、対日講和条約第11条(戦犯条項)の形成過程である。初期の構想、草案の微妙な変化の意味等を詳細に分析した結果、日本側が戦犯裁判の判決を受諾する規定の意味、日本側に与えられた「勧告」権限の意味を明らかにした。以上は、先行研究がほとんどない未開拓の分野を一次資料で実証的に解明した研究成果である。