- 著者
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日比野 晶子 (兵頭 晶子)
- 出版者
- 東京大学
- 雑誌
- 特別研究員奨励費
- 巻号頁・発行日
- 2006
本研究では、かつて狐が憑くなど<もの憑き>の概念で理解されていた状態が、日本近代において精神病という概念に置き換えられていく過程で、病者の処遇や治病にどのような変容が起こったのかを歴史的に検討した。本年度は最終年度として、これまでの成果を単著として刊行し、その延長上に近現代の「心理療法」の問題性について考察した論文を公表した。<もの憑き>は、神々や生き霊・死霊だけでなく、牛馬や五毅などの動植物も含め、自らを取り巻く全てのおりようとの<繋がり>に異変が起きた時に生じる事態であり、そのバランスを調整することで病気も治ると信じられていた。日本近代精神病学は、このような<繋がり>において理解されていた状態を、病者「個人」の遺伝や生活歴といった「素因」に基づいて必然的に発病する「精神病」なのだと再定義し、臨床化していった。こうした<存在>の病としての再定義は、「素因」の発生源とされる病者と家族に重い影を投げかけた。さらに私宅監置の制度化も加わり、精神病は文字通り「家」の問題として可視化され、かつては<繋がり>の異変の修復に参加していた近隣の人々からも、「危険」を忌避されるようになっていった。のみならず、病者が落ち着いている状態でも「潜在的危険性」を警戒すべきだと喧伝されたことから、罪を犯して世間を騒がせた精神病者は死ぬまで精神病院に監禁され、その一日も早い死が待ち望まれるようになる。このような、「個人」という<存在>と精神病に基づく「危険」を同一的に重ね合わせる発想は、今日の医療観察法にも、形を変えて引き継がれていると思われる。そして、潜在意識に隠された「個人」の「経歴(ヒストリ)」を読み解くことで症状を解決しようとする心理療法も、同じ轍を共有しており、人間が独りで生きている訳ではないという当たり前の事実を狭めてしまう可能性を持つと考える。