- 著者
-
早川 康夫
- 出版者
- 日本草地学会
- 雑誌
- 日本草地学会誌 (ISSN:04475933)
- 巻号頁・発行日
- vol.41, no.2, pp.169-175, 1995-07-30 (Released:2017-07-07)
- 参考文献数
- 15
- 被引用文献数
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現在日本の大家畜は牛が主であるが,つい半世紀前までは,国の方針で馬の改良増殖に力を注いでいた。馬は国威高揚のための軍事力として欠かかせぬものであった。しかし草食動物をまとめて多頭数飼養するとなると"まき場"が必要になる。難波,大和,平安時代は河内国の旧河内湖周辺の肥沃湿地に繁茂するヨシを拠り所に馬飼部造を置いた。ついで信濃16牧を設けたが,その3/4は湖跡,河川敷のヨシ原を中心とし埴原牧と浅間山麓の3牧だけが丘陵地形上のススキ,チガヤが使われた。これ以後設立される牧場は山麓丘陵地が,選ばれることが多く大正初期発足の馬産供用限定地では,これが馬牧の標準的立地とみなされるようになった。つまり馬糧野草が湿性遷移系列から乾性遷移系列に変わった。戦後は馬も野草もその用途を大幅縮小し競走馬などが牧草地で僅かに飼われるが,"牛飲馬食"といわれた採食量が野草時代に比べ低減,逆転する。