著者
春木 奈美子
出版者
京都大学大学院教育学研究科
雑誌
京都大学大学院教育学研究科紀要 (ISSN:13452142)
巻号頁・発行日
vol.56, pp.139-151, 2010-03-31

The end of analysis is one of the questions that have been discussed since the beginning of psychoanalysis. Freud took a negative position, saying that there is a rock of castration beyond which analysis would go no further. Contrary to Freud, late Lacan takes a radical step with the concept of "Identification with symptom". At first, Lacan accented the Symbolic and defined the traversing fantasy as issues of analysis. Later, as the Real takes on importance in his theory, the identification with symptom is repeatedly emphasized. This theoretical turn results from his original reflections on femininity. The concepts of femininity and enjoyment around his famous thesis "Woman does not exist" are articulated by examining two acts : Medea's murder of her own children and Gide's wife's burning of his letters. These two acts are homologous in terms of the woman who does not exist, or the true woman. Another possibility of cure emerges in the identification with symptom.
著者
春木 奈美子
出版者
京都大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2008

人類学の多くの資料や、文学的天才の作品が教えるように、贈与について考えるとき、セクシュアリティの問題をそこから切り離すことはできない。贈与に解き難く付随するこの問題系は、レヴィ=ストロースが記述する女性の交換にはじまり、ピエール・クロソウスキーの『歓待の掟』における倒錯的な贈与に至るまで、例に事欠かない。ところで、フランスの精神分析家ジャック・ラカンは晩年のセミネール20巻『アンコール』のなかで、セクシュアリティについて独特な議論を展開している。彼はそこで、性別の公式と呼ばれる論理式を提示し、さらに「女なるものは存在しない」と定式化した。このテーゼは、ラカンの男性中心主義と曲解され、多くのフェミニストから批判を受けることになる。しかし詳細にセミネール20巻を読み進めれば、これを男性中心主義と解することがほとんど不可能であることが分かる。贈与という概念をひとつの手がかりとして、心理臨床を再考察する研究の最終年は、セクシュアリティをめぐるラカンの言説を導きの糸として、絶対的な「贈与」に関わる神話の分析を行い、更にそこで得られた知見から新たな治療論を展望した。フロイトが『終わりある分析と終わりなき分析』で記したように、心理臨床において、治療の終わりは議論の絶えない主題である。フロイトは分析治療がどうしてもそこから先には進まない「岩盤」=去勢コンプレクスを前に、ある種のためらいをみせるが(生物学への傾斜)、ラカンはそこに留まることなく、「幻想の横断」、後には「症状への同一化」という考えを前面に打ち出す。本研究は後者の概念を贈与そしてセクシュアリティの問題と併せて再考することで、そこに含まれる治療的意義を示した。