著者
景山 真二 石原 聡
出版者
一般社団法人 日本考古学協会
雑誌
日本考古学 (ISSN:13408488)
巻号頁・発行日
vol.8, no.11, pp.153-160, 2001-05-18 (Released:2009-02-16)
参考文献数
11

島根県大社町出雲大社境内に所在する出雲大社境内遺跡で平成12年4月に巨大な柱根3本が束ねられた状態で出土した。それまで出雲大社境内は,防災工事等により縄文時代晩期から近世の遺物が出土しており,周知の遺跡であった。平成11年9月から出雲大社による地下祭礼準備室増設工事の事前調査として発掘調査が行われ,勾玉などの祭祀遺物の出土・大規模な礫集中遺構の検出などによって現状保存が決定した矢先,巨大柱が出土したのである。巨大柱3本の柱材を束ねて1本とする構造は,出雲国造千家家に伝わる『金輪御造営差図』に描かれた構造とほぼ一致しており,これまで文献史学・建築史学で高層建築であると言われてきた出雲大社本殿が考古学からアプローチできるようになった。柱周辺からは,本殿建設に使用したとみられる鉄製品が多量に出土している。柱の上面からは,釘・鎹・帯状鉄器など多種の鉄製品が出土しているが大型の鉄製品が多く,建設された建物が大規模であったことを物語っている。また宇豆柱の直下より鉄製の釿2点が出土している。遺存状況が非常に良好であり,古代末から中世初頭の工具の変遷を考える上で重要な遺物である。巨大柱遺構の年代は,遺構内出土土器から12世紀後半から13世紀代の年代が考えられ,また使用された木材は,炭素同位体比による年代測定の結果西暦1215~1240に伐採された木材であるという結果が得られており,文献史料との対応関係から宝治2(1248)年に造営された本殿跡である可能性が高い。当遺跡では他に古墳時代前期から近世に至る各時代の出雲大社の歴史を物語る遺構・遺物が確認されており,祭祀遺跡から考古学だけではなく,文献史学・建築史学・宗教史学など多方面に波紋を投げかける契機となった。