著者
有富 純也
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.148, pp.61-71, 2008-12-25

本稿は、神社社殿の成立時期について、律令国家との関係に注目しながら検討し、また、摂関期の国家と神社の関係についても論及するものである。神社社殿がいつ、どうして成立したかについては、多く研究があるものの、これまでの研究成果を充分に消化しつつ、論じたものはあまり存在しないと思う。そこで❶章では、あらためて研究史整理を行い、神社社殿成立の時期について詳細に検討した。その結果、①律令国家の成立と神社社殿の成立はほぼ同時期であること、②律令国家成立以前の宗教施設には、大きく分類して、建築物を有しないモリと、建築物が付随するホクラがあること、以上二つの仮説を得た。❷章では、ホクラと神社社殿の関係について、中国の「社」のあり方や平安時代の記録を用いて検証した。中国の宗教施設である「社」は建築物を伴わないことから、神社建築は中国の影響を受けない日本固有のものであると推測した。とすれば、七世紀以前に存在したホクラが神社建築に深く関係すると考えることもできよう。律令国家成立期、祈年祭を中心とした班幣制度を創始するにあたり、地方に幣帛を納める宗教施設として、建築物を伴う「神社」も創出されたのではないか。❸章では、❶章の仮説①を検討するべく、律令国家が転換した十世紀以降における神社社殿と摂関期の国家・受領の関係について考えた。受領の神拝や神社修理について検討した結果、十世紀以降の神社社殿は、受領が社殿の繁栄や退転に大きく関係していることが判明した。律令期との相違は若干あるものの、摂関期の受領や国家などの支配者が神社社殿の維持に大きな役割を果たしたことは間違いないようである。律令国家は、神社社殿成立に深く関与しており、また、摂関期においても受領が中心となって社殿を維持していたと結論づけた。