著者
有田 素子
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.31-34, 1985-03-15

北海道留萌市にあるかもめ幼稚園は,昭和32年開園と同時に障害児を受け入れ,北海道における障害児保育の草分け的存在といわれる。漁業中心のしかも閉鎖的ともいえるこの地に,なぜ早い時期から障害児保育が生まれ存続してきたのだろうか。27年間にもおよぶ実践を通し,その成立過程・保育内容の変遷をたどることによってこれから障害児保育を手掛けようとする地域,あるいはその保育に携わっている人達に対して重要な示唆を与え得ると考え,延べ10数回にわたる訪問面接調査および障害児保育実践の参加観察を行った。かもめ幼稚園の障害児受け入れは意図的かつ組織的なものではなく,偶然障害児が入園したことがきっかけであった。当初の保育はオープン方式で,園児40名教師4名と人的条件には恵まれていたが,障害児の指導方法もわからぬままのスタートで,毎日がその子中心の保育のようなものであった。翌年からは増設に伴い横割りのクラス編成となり,障害児は各クラスに在籍,一斉保育に支障があると思われる場合には個別指導を加味した。昭和52年「つくし学級」という特別な学級を設置し,障害児をそこに在籍させ個別指導中心の特殊学級的役割を持たせたが,いくつかの問題点があり1年後には廃止した。経過の反省の中から障害児を再び各クラスに在籍させ,つくしの部屋は個別指導の場として,また自由遊び時は誰もが入って道べる部屋として利用されている。現在,障害児は自由遊び時も一斉保育時も原則として健常児とともに過ごしており,子どものその日の状態によって自由遊び時は集団に参加させても一斉保育時には個別指導をするなど,臨機応変に対応している。障害児の入るクラスは複担制をとっており,教師達は努力と協力を惜しまず,より適した指導方法を求めて日々研さんを積んでいる。この障害児保育を支える地域的な諸条件も数多くあり,それらについても考察をした。