著者
明神 勲
出版者
北海道教育大学
雑誌
釧路論集 : 北海道教育大学釧路分校研究報告 (ISSN:02878216)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.131-142, 2005-10-30

敗戦後の連合国による占領教育政策に転換があったのか否かをめぐり教育界に異なった見解が存在する。教育史研究における通説は、占領初期の教育民主化政策は1949年ころを境とする占領後期に転換したとするものである。この所謂「逆コース」論に基づく通説にたいして近年異論が出され、占領教育政策に「逆コース」は存在せず基本的に一貫していたという見解が示されている。「逆コース」論をどのように評価するのかは、占領期教育史像をどのように描き、占領教育改革をどのように評価するかに関わる重要な論点である。本稿では、この課題に接近するために、教育政策が具体化される実施過程に着目し、東京都と神奈川県をケース・スタディとして、地域における教育改革の展開過程を描き出し、教育施策の連続性・断絶を分析した。資料としては、地方軍政部・民事部が担当地域における教育状況と彼らの活動を上部組織に月毎に報告する地方軍政部・民事部月例活動月報を用いた。分析の結果、教員組合及び共産主義に対する対応においては一定の変化が確認されたが、基本的には占領初期の教育民主化政策の実施は継続しており、連続性が強いことが明らかとなった。この点から、通説である「逆コース」論を批判的に再検討する必要性を指摘し、そのためのいくつかの課題を提起した。
著者
百瀬 響 遠藤 匡俊
出版者
北海道教育大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2019-04-01

本研究は、平成25~28年度科研費(挑戦的萌芽研究)「北海道・東北を中心とする北方交易圏の理論的枠組み構築のための総合的研究」(研究代表者 百瀬響、課題番号25580150)での成果を発展させ、東北・北海道の日本海沿岸地域(石狩・余市地方)・樺太における「北方交易圏」の交流の実像を通時的に明らかにする。近世から近代を通じ、東北-樺太-北海道日本海沿岸地域に存在した交易圏と婚姻圏に関して、各地域の博物館・アイヌ系住民らと連携し、物質文化・古文書・オーラルヒストリー等の史資料から、地理学・歴史学・文化人類学等諸分野の手法を用い、かつてこれらの地域に存在した交易・婚姻圏の実態を探る。
著者
岡嶋 恒 舘林 啓二
出版者
北海道教育大学
雑誌
釧路論集 : 北海道教育大学釧路分校研究報告 (ISSN:02878216)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.79-86, 2003-11-30

剣道と薙刀以外の運動競技においては、打突時に打突する部位(メン、コテ、ドウなど)を呼称することはない。剣道の有効打突の条件は「充実した気勢、適正な姿勢をもって、竹刀の打突部で打突部位を刃筋正しく打突し、残心あるものとする」であり、打突部位を呼称しなければならないという項目は見当たらない。現在の「打突時における打突部位呼称」が、いつ頃から行われるようになったのか、その経緯についての知見を得ることを目的とした。流派が発生し、特徴ある修行方法や技術を作り上げていく過程において打突・斬突時に発声が行なわれており、そのことが打突部位呼称への発展に大きく関わっていく。江戸時代初期には、発声が打突・斬突を効果的にする働きがある要素として認識されていたことが推察できる。江戸時代中期には防具の改良が進み、「面」「籠手」と打突部の名称が確認できるが、各流派で打突時の発声や打突部位が統一されていないために打突部位の呼称が浸透しなかったことが推察できる。剣術の技が面、龍手、胴、突きに分かれ、その部位を打突する技の研究が進んでいく江戸時代後期が打突部位呼称の萌芽期と考えられる。直心陰流の榊原健吉は「オメーン、オコテー」と打突部位呼称を行なっていた。明治44年、剣術が中学校の正科教材に加えられることになり、文部省は武術講習会を催した。ここで剣術の指導の内容・方法の統一が図られ、打突時の発声方法や打突部位呼称が示された。打突部位呼称は、簡明適切で自然な発声方法として採用され、剣道指導を効率よく行う手段として定着していった。以後これに沿った形で剣道指導が展開されることになる。昭和27年、「全日本剣道連盟試合規則」が制定され、有効打突の条件に「打突の三要素」が組み込まれ、現在においては有効打突の必要条件として確立されている。
著者
石井 由紀夫
出版者
北海道教育大学
雑誌
語学文学 (ISSN:02868962)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.9-16, 2000-03
著者
小松 丈晃
出版者
北海道教育大学
雑誌
釧路論集 : 北海道教育大学釧路分校研究報告 (ISSN:02878216)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.81-87, 2005-10-30

福祉国家からリスク社会へという社会変動を論じるU.ベックらが主として問題にしていたものの一つに、いわゆる「包摂と排除」の問いがある。これは、80年代当時のドイツにおいて、CDUによって「新しい社会問題」と呼ばれ、SPDと緑の党によって「三分の二社会」と語られていた事態ともかかわっている。このような状況の中で、人間がそのライフコースの中で遭遇する数々の「社会的リスク」に対する防御や補償を担うべき審級としての社会的援助(soziale Hilfe)、社会福祉活動(Soziale Arbeit)あるいは(広い意味での)ソーシャルワーク、社会教育(Sozialpadagogik)といった制度もまた大きな変容を被っている。本稿では、こうした「社会的リスク」を背景とした他者への援助・福祉を、N.ルーマンの社会システム理論、とりわけその宗教諭を手ががりとして考察するものである。ルーマンは、一つの機能システムからのある人間の排除が他の機能システムからの当該人間の排除を呼び込むという、複数の機能システムの「否定的カップリング」という今日的現象の中で、援助の可能性を何処に求められうるかを探っている。そのさい、彼が着目するのは宗教システムである。しかし、60年代以降のいわゆる「世俗化」テーゼを知る者にとってはこの立論はいささか無理があるようにも思える。だが、ルーマンは、機能システムの「機能(Funktion)」領域と「遂行(Leistung)」領域とを区別し、前者(宗教システムでいえば「教会(Kirche)」)の近年の相対的な弱体化は、後者(宗教システムでいえば「ディアコニー(Diakonie)」)の強化によって埋め合わせられているのだと考え、この「遂行」のレベルにこそ、「否定的カップリング」に対処しうる宗教システムの「新しいチャンス」を見いだそうとする。もっとも、規範のレベルにとどまらないその具体的現実化の方途の問題とともに、ディアコニーの宗教的性格の程度に由来する問題は、依然として残されている。
著者
角 一典
出版者
北海道教育大学
雑誌
北海道教育大学紀要. 人文科学・社会科学編 (ISSN:13442562)
巻号頁・発行日
vol.71, no.2, pp.47-62, 2021-02

本稿では,河川行政において激動の時代であった1990年代に河川局長を務めた近藤徹および青山俊樹の二氏の言説を手掛かりにして,河川官僚の考え・思想を読み解こうと試みた。以下では,長良川河口堰問題以前の河川行政に対する振り返り,従来の河川行政に欠いていたもの(=これからの河川行政に求められるもの),3つの個別政策(総合治水・利水安全度・スーパー堤防)に対する認識の三点について検討を加えた。そこからは,脱ダム時代に批判の対象となった河川官僚たちが,少なくとも意識の上ではきわめて開明的であり,官僚的な独善を脱して民主的なプロセスを重視していかなければならないという認識を有し,また,環境や生態系を重視することを当然と捉えていたことが明らかとなった。その一方で,治水や利水においては,巨大構造物がその基礎をなすという意識を強く持っていることも垣間見えた。