著者
木村 專太郎
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.952-953, 1995-08-25

●Babinski reflex(バビンスキー・リフレックス) 整形外科領域の医療でも,バビンスキー反射の重要性を感じることがあると思う. バビンスキー(Joseph Francois Felix Babinski1857-1932)の父親Alexander (アレクサンダー)は,1848年にポーランドからパリに移住して来て,1857年にJosephが生まれた.ポーランド生まれの楽聖ショパン(F.Chopin)は,フランスで活躍し,“ショパン”とフランス流に発音されているから,“Babinski”も“ババンスキー”と発音されるべきである.
著者
木村 專太郎
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.1094-1098, 2012-11-25

まえがき この連載第42話(小誌45巻11号)で「お玉ヶ池種痘所を助けた2人の物語」として川路聖謨と濱口梧陵のことを書いた.先日,東京都文京区本郷の東京大学弥生門の近くにある日蓮宗大正寺(台東区池之端2-1-21)で聖謨の掃苔を行って来た.聖謨は五百石の旗本から抜擢されて,老中の下の位に位置する勘定奉行にまで出世し,蘭方医学がご法度であった当時の時勢にあって,蘭方医から依頼されたために,種痘所の嘆願書を聖謨自身の手で書いて幕府に提出した.かつ幕府拝領地である自分の屋敷を,お玉ヶ池種痘所に無償提供した行動は立派で勇気がある.これこそ快挙である.「川路聖謨」のことを新しい知見も取り入れて,再度書いてみたい.
著者
木村 專太郎
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.1192-1193, 1998-10-25

●O'Donoghue's Triad (オゥドナヒューズ・トラィアッド) これは外科医や整形外科医には“unhappy triad”や“terrible triad”として知られているが,“O'Donoghue'sTriad”が正式なものである.“triad”は英語で三徴候を意味する.日本でいう“trias”はギリシャ語とラテン語に由来している. ラテン語の“trias”の属格は“triadis”であり,ギリシャ語のそれは“triados”である.これは“三つ組”を意味し,英語ではこの属格から派生した言葉“triad”を使う.さて“unhappy triad”とは,米国ではアメフトにおいて横からタックルしたときによく起こる外傷のことある.膝の外側からの力(valgus stress)と膝の内旋(external rotation)の力で起こり,このとき三つの障害が起こる.すなわち,内側側副靱帯(medial col―lateral ligament)と前十字靱帯(anterior cruciate lig―ament)の両靱帯の破裂,そして内側半月板の損傷の“三つ組”である.
著者
木村 專太郎
出版者
医学書院
雑誌
臨床整形外科 (ISSN:05570433)
巻号頁・発行日
vol.42, no.5, pp.442-445, 2007-05-25

まえがき 今回は福岡黒田藩の分藩秋月藩医,緒方春朔について述べる.彼は漢方医であったが,蘭学が江戸末期に栄えるようになった「キー・パーソン」の1人である.春朔は「人痘による種痘法」を,寛政2年(1790)に秋月藩内で行った.これは,寛政8年(1796)5月14日に英国人エドワード・ジェンナーが,牛痘の種痘を始める前の話である. 春朔の種痘から約40年前の宝暦2年(1552)に,医書「医宗金鑑」が中国から輸入された.その中には「人痘による種痘法」が記述されて,長崎に来た中国人の種痘医李仁山(りじんせん)が,その書に記述されている方法を用いて,長崎の医師たちに「種痘法」を教えた.その後長崎で「種痘」が一時行われた模様であったが,継続されなかった.詳しい様子は不明である.しかし長崎でこの種痘法を学んだ琉球の医師上江州倫完(うえすりんかん)(1732~1812)は,春朔が行ったより24年前の明和3年(1766)に,この「種痘」を沖縄で行い,その後沖繩では継続的に行われていたようである.