著者
木村 專太郎
出版者
医学書院
雑誌
臨床整形外科 (ISSN:05570433)
巻号頁・発行日
vol.42, no.5, pp.442-445, 2007-05-25

まえがき 今回は福岡黒田藩の分藩秋月藩医,緒方春朔について述べる.彼は漢方医であったが,蘭学が江戸末期に栄えるようになった「キー・パーソン」の1人である.春朔は「人痘による種痘法」を,寛政2年(1790)に秋月藩内で行った.これは,寛政8年(1796)5月14日に英国人エドワード・ジェンナーが,牛痘の種痘を始める前の話である. 春朔の種痘から約40年前の宝暦2年(1552)に,医書「医宗金鑑」が中国から輸入された.その中には「人痘による種痘法」が記述されて,長崎に来た中国人の種痘医李仁山(りじんせん)が,その書に記述されている方法を用いて,長崎の医師たちに「種痘法」を教えた.その後長崎で「種痘」が一時行われた模様であったが,継続されなかった.詳しい様子は不明である.しかし長崎でこの種痘法を学んだ琉球の医師上江州倫完(うえすりんかん)(1732~1812)は,春朔が行ったより24年前の明和3年(1766)に,この「種痘」を沖縄で行い,その後沖繩では継続的に行われていたようである.

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~春朔の種痘から約40年前の宝暦2年(1552)に,医書「医宗金鑑」が中国から輸入された.その中には「人痘による種痘法」が記述されて,長崎に来た中国人の種痘医李仁山(りじんせん)が,その書に記述されている方法を用いて,長崎の医師たちに「種痘法」を教えた.~ https://t.co/rwsrHR60e3

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