著者
本田 修郎
出版者
日本哲学会
雑誌
哲学 (ISSN:03873358)
巻号頁・発行日
vol.1957, no.7, pp.32-38, 1957-03-31 (Released:2009-07-23)
参考文献数
31

ヘーゲルによれば、現実的なものはまた理性的である.現実のの理性的認識は、これを概念の必然性から理解することにほかならない、レーニンもその「哲学ノート」で、特にヘーゲルの次の言葉を重要視しているほどである.「現実の諸契機の総体、それが、展開するときは自己を必然性としてあらわす」そして、レーニンはここで、「注意せよ=弁証法的認識の本質だ」と、つけ加えている.もちろんその意味するところは異ってきているが、ヘーゲルもレーニンも、現実の展開の必然性を基本的なものとみた点は同じである。このような圧倒的な必然性の意義に対して、現実の外的な偶然性の面は、果してどれだけの重みを保ちうるであろうか.現在の非合理主義的な哲学や、現代の物理学、生物学に基ずく科学論やでは、偶然性の概念は依然重要な意味を持たされている.こういう際にヘーゲの弁証法が、偶然性の契機をどういう風にその必然論に統一したかを顧みることは、意義あるものと思われる.ここでは主としてヘーゲルの論理学に依りながら、考察を進めるが、その際便宜上から、九鬼周造氏の偶然論を対照してゆくことにした.