著者
本田 逸夫
出版者
九州工業大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2002

丸山眞男の青年期=反動化の時代の経験、つまり彼の収監等の受難と同時代の「自由主義」的知識人の「実践的無力」は、日本の国家と思想の言わば病根を示すものだった。すなわち、「国体」は疑問の提出自体を許さない「直接的」「即自的」「統一」であると共に無際限に「精神の内面」へ侵入する権力であり、知識人の思想も表面の(外来)イデオロギー体系と深層の呪術的な(無)意識との乖離から、異端排撃への同調・屈服とその自己正当化に陥りがちだった。これらの問題性の克服の志向こそ、丸山の思想・学問の形成と展開を主導していた。そしてそこで特に重要な役割を演じたのが、--自由主義の批判者でありながらも、「大転向」の時代に良心に基き「時潮と凄絶に対決」すると同時に他者への寛容をも示した--師、南原繁との持続的な(思想的)対話であった。丸山は、(「古層」論等に至る所の)「存在拘束性」の徹底した追究を通じて日本思想の深層の問題を剔抉し、あわせて(おそらく南原を含む)日清戦後世代の知識人の国家観や天皇観の脱神話化につとめた。更に晩年の彼は、「伝統」や「正統」の研究が示す通り、超(むしろ長)歴史的な価値(=個性的人格・良心等)の「客観的」存在を唱える南原の思想に近づいていった。自由主義論に即していえば、その作業は、相対主義にも不寛容にも陥らぬ自由主義を支える(そして、主体形成の前提を成す「思想的な座標軸」でもある)所の「絶対的価値」ないし「見えない権威」--その歴史的な探求と重なっていたのである。