- 著者
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李 晋寧
- 出版者
- 北海道大学大学院教育学研究院
- 雑誌
- 北海道大学大学院教育学研究院紀要 (ISSN:18821669)
- 巻号頁・発行日
- vol.142, pp.15-35, 2023-06-26
中国の文化大革命期(1966-1976)にスポーツの発展は停滞した。しかし,「友好第一,競技第二」の思想は国内における階級闘争の最中においても,スポーツの普及と外交関係の改善に一定の役割を果たした。果たして,こうした思想はいつまで維持されたのか,効果的に持続できたのか。本稿は1980年代の新聞,『体育報』に着眼し,「友好第一」に対する考え方の変容についてまとめる。1980年以降,人々は「友好第一」思想の影響を維持しつつも,その理念に対して疑義も呈するようになる。つまり,「友好第一」を重視するあまり,手加減,八百長試合が生じたことで,観衆らが試合内容に興味を失い,真剣に対戦する競技スポーツ形成を損なうという考えを,かつてよりも公に表現するようになった。「友好第一」思想は中国人民の体育的価値観を解体し,社会主義的体育思想のもとで統合をはかると同時に,80年代以降の体育的価値の再建過程に影響を与えたと結論づけられる。