著者
李 海訓
出版者
社会経済史学会
雑誌
社会経済史学 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.79, no.2, pp.213-233, 2013-08-25 (Released:2017-05-17)

今まで,1945年以前の東北アジア各地域における寒冷地版「緑の革命」に対する歴史像は,必ずしも明らかにされてこなかった。本稿では,寒冷地版「緑の革命」の歴史像を明らかにすべく,東北アジアにおける寒冷地稲作の量的拡大の要因を究明するとともに,東北アジアにおける稲優良品種の普及過程を考察する。分析の結果,次の知見が得られた。まず,東北アジア各地域における寒冷地稲作の定着・拡大の重要要因は,耐寒性・早生品種にあった。次に,耐肥性品種と窒素肥料は相互に要求し合う関連性がある。窒素肥料の供給が増える時代を背景に,日本では窒素肥料が起点となり,朝鮮では日本から持ち込まれた品種が起点となって,窒素肥料と耐肥性品種が相互に要求する循環関係がみられた。中国東北でも耐肥性品種が普及し,肥料の消費が増えたが,1937年以降,硫安が制限されたため,窒素肥料が耐肥性のより強い品種を要求する状況は起こらなかった。品種は肥料と密接な関連性を持ちつつ普及していったが,社会経済条件や日本帝国圏内における食糧政策,戦争等の影響により,各地域における稲優良品種の普及過程には違いが見られた。