著者
青木 洋
出版者
社会経済史学会
雑誌
社会経済史学 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.72, no.3, pp.331-353, 2006-09-25 (Released:2017-08-09)
参考文献数
55
被引用文献数
1

This article focuses on the activities of the Research Groups (Kenkyu han) promoted by the National Research Council of Japan (NRCJ) during World War II. Research collaboration has recently attracted the attention of many scholars as a factor in the development of Japanese technology. In fact, there were a large number of research collaboration activities during the period, and the Research Groups were one of the largest of such groups. NRCJ, established in 1920 under the supervision of the Ministry of Education, had been mainly involved in the promotion of international academic collaboration until World War II. But when the Board of Technology (Gijutsuin) was established for the mobilization of science and technology and the tide of the Pacific War turned against Japan, the Ministry of Education enforced a reform so that NCRJ could launch widespread research collaboration throughout the country. The Research Groups were organized in 1944, and at its peak had 193 groups and a total of over 1,900 scientists. Typical research issues included electronics, scarce and rare materials, and public health. These were similar to those of the Research Neighborhood Groups (Kenkyu tonarigumi), which were promoted by the Board of Technology, resulting in some duplication of activities between the two groups and leading to inefficiency in the mobilization of science and technology research.
著者
山口 明日香
出版者
社会経済史学会
雑誌
社會經濟史學 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.76, no.4, pp.547-570, 2011-02-25

本稿の目的は,産業化における木材利用の視点から,とくに産業資材としての木材に注目し,国有鉄道による枕木の調達・利用方法を明らかにすることである。近代日本の産業化の過程において木材は,エネルギー,資材,原料として利用され,木材の需要構造の変化や供給不足などに対応して,長期的な木材所要量の確保は各産業にとって克服すべき課題となった。1870年代以降,鉄道網の拡張に伴い枕木需要は拡大し,国有鉄道は1909年度分の枕木購入に際し「一般競争入札」から「随意契約」に調達方法を変更した。さらに国有鉄道は,1930年度に予算不足により枕木買入単価を引き下げて所要量を確保するため,調達方法を「指名競争入札」に変更したが,1933年度には「益金」が増加して予算不足が解決され,また木材市場が回復したために再び「随意契約」に戻した。こうした調達方法の変更を通じて国有鉄道は木材市場や予算の変化に柔軟に対応したが,単年度主義の予算制約から長期的な枕木確保の対応策をとれなかった。国有鉄道は,使用樹種の拡大や防腐枕木の利用により枕木不足を解消しようとしたが,とくに1930年代後半以降,枕木不足は深刻化した。
著者
韓 載香
出版者
社会経済史学会
雑誌
社會經濟史學 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.73, no.4, pp.377-400, 2007-11-25

本稿は,パチンコ産業を対象として,在日韓国朝鮮人(以下,在日と略記)コミュニティ内に蓄積される産業関連の経営資源に注目し,同産業への大量参入が実現し,結果的に代表的産業となったことを考察する。産業好況期に在日が集中的に参入できたのは,衰退産業に代わる事業転換先・多角化事業の投資先・新規参入先としてなど,参入する複合的契機がある一方,ビジネスチャンスの発見と参入を容易にする資源が存在したからであった。そのような資源は,1950年代前半に在日コミュニティ内部に基礎的に形成された。在日は,同産業への関与者が多くなるにつれて,人を媒介とした伝播などインフォーマルな形で市場情報に接しやすい環境におかれた。同産業が全国的市場基盤をもっていたため,情報は直接的な競争を生み出さずに共有されえた。一方で,同産業の影の部分が社会的に批判され,ビジネスとして高いリスクの認識が固定化されると,社会からの参入が制限されるようになった。このように,在日は,一般的に参入が抑制されるなか,経営資源をコミュニティ内で入手できる独特な状況下で,参入と集積を進行させてきたのである。
著者
小島 庸平
出版者
社会経済史学会
雑誌
社會經濟史學 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.77, no.3, pp.315-338, 2011-11-25

本稿は,長野県下伊那郡座光寺村で農村負債整理組合法に基づいて実施された無尽講整理事業の実施過程を分析することを課題とする。座光寺村では,1920年代の養蚕ブームを背景に,インフォーマルな金融組織である無尽講が「濫設」されていたが,大恐慌期にはその多くが行き詰まり,村内における階層間対立を激化させる一因となっていた。だが,戦間期の無尽講は,部落や行政村の範囲を超えた多様な共同性の中で組織されており,債権債務関係と保証被保証関係が複雑に折り重なっていたため,その整理は極めて困難なものであった。無尽講をターゲットとした同村の負債整理事業は,進捗自体は極めて遅々としていたものの,地縁的な関係を超えて集団的に取り結ばれた無尽講の貸借関係を,同一部落内における個人間での「区人貸」に再編し,その結果,30年代後半の経済好転に伴う余剰資金の預金先は,産業組合に代表される制度的な金融機関へとシフトしていった。無尽講の整理を1つの目的とした農村負債整理事業の歴史的意義は,「講」型組織の「村」型組織化(を通じた解体)にあったと言うことができる。
著者
青木 洋
出版者
社会経済史学会
雑誌
社会経済史学 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.72, no.3, pp.331-353, 2006
参考文献数
55
被引用文献数
4

This article focuses on the activities of the Research Groups (Kenkyu han) promoted by the National Research Council of Japan (NRCJ) during World War II. Research collaboration has recently attracted the attention of many scholars as a factor in the development of Japanese technology. In fact, there were a large number of research collaboration activities during the period, and the Research Groups were one of the largest of such groups. NRCJ, established in 1920 under the supervision of the Ministry of Education, had been mainly involved in the promotion of international academic collaboration until World War II. But when the Board of Technology (Gijutsuin) was established for the mobilization of science and technology and the tide of the Pacific War turned against Japan, the Ministry of Education enforced a reform so that NCRJ could launch widespread research collaboration throughout the country. The Research Groups were organized in 1944, and at its peak had 193 groups and a total of over 1,900 scientists. Typical research issues included electronics, scarce and rare materials, and public health. These were similar to those of the Research Neighborhood Groups (Kenkyu tonarigumi), which were promoted by the Board of Technology, resulting in some duplication of activities between the two groups and leading to inefficiency in the mobilization of science and technology research.
著者
今堀 誠二
出版者
社会経済史学会
雑誌
社会経済史学 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.12, no.4, pp.419-451, 1942
著者
桑原 三郎
出版者
社会経済史学会
雑誌
社会経済史学 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.7, no.11, pp.1292-1300, 1938-02-15 (Released:2017-09-25)
著者
高木 久史
出版者
社会経済史学会
雑誌
社会経済史学 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.74, no.5, pp.469-485, 2009-01-25 (Released:2017-07-22)

日本中世における債権・債務・信用一般に関する実証分析は少ない。本稿では信用の中でも商業上の信用の問題,具体的には掛取引について論じる。方法としては,非経済的側面との関係(例えば政治史)に触れながら,中世後期とくに15世紀から17世紀初頭にかけての掛取引の事例検出,とくに16世紀前半を中心とした事例検出を行い,時代的特徴を示す。とくに中世後期については徳政に関する事例とそれ以外とに分けて論じる。結果,徳政にかかる売掛金の扱いに関する商人慣習法の存在と幕府徳政令によるその追認,一方での各徳政令における売掛債権破棄志向(戦争等を契機とする債務者救済の特別措置によるもの)等を示す。実態面では,高額・長距離掛取引の実施,支払期日観念ならびに期日超過に伴う利子支払特約の存在,売掛債権の文書化,年市的性格をもつ京都馬市での掛取引の実施,当事者相互の売掛金の持ち合い,国質・所質名目での売掛金取立の実施(とそれを拒否する動向),等について示す。全体としては,概して遅くとも15世紀後半以後における掛取引の広範な実施,ならびに近世初頭までの継続的な実施を示す。
著者
岩橋 勝
出版者
社会経済史学会
雑誌
社会経済史学 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.77, no.4, pp.481-503, 2012

近年の近世日本貨幣史研究は,かつての制度史的ないし貨幣改鋳史的研究手法を超えて,貨幣流通の実態を踏まえた検討が進められている。その際,貨幣を通して経済発展を検討しようとする「貨幣の経済史」が求められている。本稿で検討する熊本藩は,いわゆる銀遣い経済圏の中にある。しかし,領内では経済発展により農民や町人の日常的決済の場では銭遣いが進展し,藩府は銀銭標準相場を示して銀建ての領主経済や領外取引とのリンクを確保した。このため銀建ての藩札流通が阻害される結果となった。銭貨供給は全国的に不十分であったので,領内では民間で「銭預り」という銭匁札が18世紀中期から自然発生的に出回り始めた。藩府も18世紀末より同様の銭預り発行を開始し,藩府は実質的に藩札化しか銭預りの過剰発行に留意したので,札価はほぼ維持され,明治初年まで流通した。小額貨幣を基本とする藩の貨幣政策が成功する例は熊本藩のみではなく,西日本のいわゆる「銭遣い経済圏」と見られる地域で少なからず観察できる。