著者
村岡 健次
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 = THE SHIRIN or the JOURNAL OF HISTORY (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.50, no.6, pp.829-858, 1967-11-01

ロバート・ピールについての評価は、当時においてもそれ以後においても、毀誉褒貶あいなかばするようである。すでに彼の在世中から、誠実な人、稀に見る有能な政治家といったユーロジーから、独裁者的で洞察力に欠ける、いや裏切者だという酷評まで、彼の評価はさまざまであった。さすがに後世の史家で、彼を裏切者ときめつける者はないが、それでも、保守主義の実際家として高く評価するガッシュから、その洞察力の欠如を難ずるセシルまで、彼の評価はあいかわらず二つに分れている。そして、こうなる原因が、周知のように彼の二回にわたる「背信的行為」、つまり、一八二九年のカトリック解放と一八四六年の穀物法廃止にあったのはいうまでもない。この二つの重要な国策決定に際しての彼の行動は、少くとも外見的には、背信の非難を招くのに十分なものであった。彼は、一国の内相ないし首相として、それまでの反対の態度から突如賛成の立場にまわり、両法案の下院通過を指導したからである。だが、ピールのこれらの行為は、はたして背信であったのか。本論は、問題を主としてカトリック解放にしぼり、一九世紀初期の政治環境との関連でピールの思想を分析しようとしたものである。