- 著者
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松村 茂樹
- 出版者
- 大妻女子大学人間生活文化研究所
- 雑誌
- 人間生活文化研究
- 巻号頁・発行日
- vol.2020, no.30, pp.122-133, 2020
<p> 世界有数の美術館である米国のボストン美術館は,東洋美術の殿堂とも称せられる.その東洋美術コレクションが,1904年から亡くなる1913年まで在籍(1910年からは中国・日本美術部長)した岡倉天心(名は覚三,1862―1913)によって整備され,充実の度を加えたことは有名である.</p><p> 岡倉は,卓越した学識を具えていたが,漢学者というわけではなかった.だが,早年からの友人で,当時上海に住んで「中国最後の文人」たる呉昌碩(1844―1927)と深く交わった長尾雨山(1864―1942)に教示を請うなどして,漢学の造詣を深めた.</p><p> 筆者は,2015年4月より1年間,ボストン大学客員研究員としてボストンに滞在し,ボストン美術館で岡倉及び長尾の中国関連事業に関する資料調査をする機会に恵まれた.そして,中国・日本美術部の図書室で,当時購入された関係漢籍類226件を調査し,「ボストン美術館中国・日本美術部図書室所蔵漢籍目録抄」を作成して,その中に,岡倉の歿後,遺族から寄贈された旧蔵漢籍39件が含まれていることを確認した.</p><p> 本稿では,これら岡倉天心旧蔵漢籍を中心とするボストン美術館所蔵漢籍を紹介し,その分析を行いたい.このことにより,ボストン美術館を東洋美術の殿堂たらしめた岡倉の漢学造詣の本質を明らかにできると思われる.</p>