著者
松野 充貴
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.19-29, 2014-07-31

本稿の目的はミシェル・フーコーの哲学におけるイマヌエル・カントの批判(概念)の役割を明らかにすることである。従来のフーコー研究ではフーコーとカントの関係はモダンとポスト・モダンの論争の枠組みのなかで論じられてきた。それゆえ、フーコー哲学とカント哲学は対立するものとして捉えられてきた。しかし、2008年に生前未公刊だった『カントの人間学』が出版され、フーコーのカント解釈が明らかになり、フーコーとカントの関係を見直さなければならなくなった。なぜならば、フーコーは『カントの人間学』のなかで、自らがこれから歩む哲学的企図をカント哲学と関係づけながら論じているからである。そこで、本稿はまず『カントの人間学』におけるフーコーのカント解釈を論じる。次に、『臨床医学の誕生』においてフーコーがニーチェの試みを『純粋理性批判』と対比して論じていることに着目し、フーコー哲学におけるニーチェとカントの関係を考察する。最後に、「啓蒙とは何か」のなかでフーコーが自らの探求を批判(概念)と論じていることに依拠しながらフーコーとカント哲学との関係を論じる。