著者
高橋 ひとみ/衞藤 隆 衞藤 隆
出版者
桃山学院大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:21889031)
巻号頁・発行日
no.2, pp.193-210, 2015-03-23

It is proposed that near-vision acuity tests be conducted in kindergartens and nurseries throughout the country and that infant medical checkups should also be carried out. This will allow early detection of and timely treatment for children with amblyopia. The younger the age at which these tests are carried out, the more effective they will be. If amblyopia is detected and treated by the age of 3, most children will be able to complete their treatment before reaching school age. This will enable them to begin their school life without being burdened by poor eyesight, and contribute to a society in which all children have equal access to compulsory education. To bring about that end, the introduction of "reliable" visual acuity tests over a short time is necessary. I considered the best form of visual acuity test from the standpoint of both the infant to be tested and that of the teacher carrying out the test. In order to ensure "reliability", it is necessary to use the Landolt Ring eye-mark, which meets definitions of eyesight. In addition, a picture-based eye-mark is recommended, as it is more likely to gain the understanding of the infant being tested. Avisual acuity test will be more effective if infants have already grown accustomed to the Landolt Ring during play. This picture book was devised with that aim in mind.
著者
松村 昌廣
出版者
桃山学院大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:21889031)
巻号頁・発行日
no.4, pp.123-138, 2016-02-26

This study will explore the relevance of the so-called Prime Directive as found in Star Trek, a very popular U.S. T.V. science fiction drama, for comparative political and area studies, with a major focus on the application of it to advanced Western modern states' intervention in the developing world after multi-ethnic empires. The paper will elucidate the directive, followed by an interim definition of "advancedness" and "backwardedness". The analytical focus will be placed on why such intervention will cause unexpected and undesired resultants that will further lead to intractable complication and entanglement later. Then the work will argue for the wisdom of "divide and rule" and warn of being driven by moralized commitment to intruding as modernizer and to missionary zeal to interfere as democratizer.
著者
増田 忠信
出版者
桃山学院大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:21889031)
巻号頁・発行日
no.1, pp.97-125, 2014-11-28

The purpose of this paper is to investigate the starting point of Japanese people's morality.Moral standards, which are historically constructed, provide us with a measure of which behavioural patterns are acceptable and which are not.The transition from tsuwamono (soldiers) to bushi (warriors) created a peculiar value standard for Japanese people, leading to the so-called Bushido.Reflecting on the pre-Bushido period in Japan can help to understand themselves better. The framework of this paper is as follows : First, I consider what was regarded as evil in the Heian era by examining Vol. 29 of the Konjaku Monogatari.Second, I investigate the word tsuwamono in the Konjaku Monogatari and Shomonki.The way that this word is employed in those two texts suggests that people in the Heian era regarded Tsuwamono ambivalently, as newcomers. Third, comparing the Konjaku Monogatari Vol.25 with the Shomonki, I examine Taira no Masakado's Rebellion (939-940), which is a typical example of the transition from tsuwamono to bushi.I conclude that tsuwamono, originally related to the common people through land or locality, became a newly-influential power by their ability to pacify rebellions. Their transformation into bushi was the result. In the world of Heian aristocrats, the common people were not held to have the same moral sense that noble-born members of the Imperial Court enjoyed. Accordingly, they would be willing to join a rebellion if the time and circumstances were right. Since the gap between tsuwamono and bushi and the common people in their attitudes to work, rebellion, religion and other matters was so small, it became possible for them to hold a similar moral sense. As a result, from the second half of the Heian era onward Japanese people began to make their moral decisions based on a similar set of attitudes to those found in the tsuwamono no michi and, later, the Way of the Samurai.
著者
佐久間 悠太
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.135-158, 2014-02-28
著者
塚本 まゆみ
出版者
田園調布学園大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13477781)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.103-114, 2003-03-20

ハリウツド映画に登場した新しいタイプの行動的なヒロイン像の分析を通じて,性別役割分担論や女性の社会的地位に関する現実と理念の変容を読む。そこに現われた女性の自己決定への強い意志は,他方では身体を通じて表象されてきた「女性らしさ/男性らしさ」というジェンダー規範そのものの変容として表現されようとしており,そのような規範に対する根本的な疑問の出発点ともなり得るだろう。
著者
西村 俊範
雑誌
人間文化研究
巻号頁・発行日
no.41, pp.103-132, 2018-11-20
著者
平 雅行
雑誌
人間文化研究
巻号頁・発行日
no.40, pp.350-296, 2018-03-10
著者
西村 俊範
雑誌
人間文化研究
巻号頁・発行日
no.41, pp.103-132, 2018-11-20
著者
手嶋 大侑
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.38-58, 2015-03-30

「三宮」は通常、太皇太后・皇太后・皇后の総称とされているが、史料を見ると、太皇太后・皇太后・皇后を指していない事例に多く出会う。この問題を解くために、各時代の史料を検討した結果、「三宮」の語は時代によって概念が変化していたことがわかった。すなわち、藤原威子の立后以前においては「三宮」は「三つの宮」の意で使用されており、「宮」と称されるものは「三宮」に含まれることがあった。そして、威子の立后以降、「三宮」は徐々に「三后」と同意語であるとの認識が浸透していき、十五世紀には完全に定着した。また、「三宮」概念に関連して、「准后」と「准三宮」も考察し、封千戸を与えることは「准后」に付随し、年官年爵は「准三宮」に付随することも指摘した。
著者
西村 俊範
雑誌
人間文化研究
巻号頁・発行日
vol.37, pp.91-118, 2016-12-10
著者
大野 裕美
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.91-106, 2008-12-23

本研究では、日本におけるシュタイナー教育の動向を紹介し、普及を推進した力は何かを分析した。教育分野において数多くの理論や思想が生まれては消えていくなか、約90年もの実績があり世界58カ国に広がるシュタイナー教育は国内でも注目されている。シュタイナー学校の授業形態は、ユニークな特徴ある方法のため国の定める学習指導要領にそぐわない。それゆえ、公認は容易でなく先進諸国のなかで公認されないシュタイナー学校は我が国だけであったが、2005年に公的に認可されたシュタイナー学校が誕生した。このことは、世界のシュタイナー教育の動向のみならず、我が国の教育の歴史において公教育のあり方を問う点でも画期的なものである。本論文では、はじめにドイツに端を発したシュタイナー教育の思想を概観し国内への移入および展開を紹介し特徴を明らかにした。次に、近年隆盛になっている国内でのシュタイナー幼児教育の位置づけを行い、シュタイナー学校との接続を考察した。さらに、公認シュタイナー学校の設立経緯として「学校法人シュタイナー学園」の事例を紹介し、今後のシュタイナー教育と公教育との関係やあり方を含めて論じた。
著者
村元 麻衣
出版者
名古屋市立大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.151-170, 2006-12-24

本論文でほまず1章で、日本語とドイツ語におけるオノマトペの定義を検討した上で、オノマトペの定義をさだめる。2章では、ドイツ語の3つの辞典上でのオノマトペの記述を比較考察した後、ドイツ語のオノマトペの動詞・名詞・副詞といった品詞による分類と、子音に着目した音韻形態の分析を行う。さらに音と意味との関係を考察し、ドイツ語のオノマトペの特徴を探る。3章では、日本の文学作品のオノマトペとそのドイツ語翻訳版との比較、ドイツの文学作品のオノマトペとその日本語翻訳版との比較をし、それぞれの現れ方からドイツ語のオノマトペの表現法と特徴を考察する。4章では、ドイツ語のオノマトペの変遷と発展にふれ、この研究のまとめとした。日本語のオノマトペは擬音語・擬態語を指すのに対し、ドイツ語のオノマトペは主に擬音語に焦点が当てられている。ただし、例えば日本語のオノマトペ「バタバタ」のように、鳥が羽ばたく際に出る音としての「バタバタ」と、鳥が羽ばたく様を描写した「バタバタ」のような、両者にまたがるものもあり、ドイツ語のオノマトペも同様に擬音語と擬態語との区別がつきにくいものがある。また日本語のオノマトペは副詞が多く、「バタバタ」のように同じ音が二回あるいは三回重複した形で構成されているものが多いため見分けがつきやすいが、ドイツ語のオノマトペは動詞が多く、ある音あるいは様態を模写する働きの擬音・擬態の部分、つまり「音の響き」が、「quatschen(ベチャベチャしゃべる)」のように語全体に溶け込み一語となっているため、オノマトペとしての区別が付きにくいのである。本論文ではこの相違を、それぞれの「オノマトペ性」とし、分析を試みた。
著者
気駕 まり
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.115-124, 2004-01-10

女性のみを処罰の対象とする刑法の自己堕胎罪は、ジェンダーの視点から捉えて問題があると言わざるをえない。この自己堕胎罪について、保護法益を基点にして現代の日本に存在する意味、その矛盾点、背景にある文化的規範などを考察していきたい。まず、堕胎は殺人と同等とするには、あまりにも保護法益の前提量が違いすぎることを指摘する。次に、その前提の内容を検証することによって、そこから女性の自律した身体であり続ける権利を導き出す。このことによって、堕胎罪の法益を設定する前段階における一つの違法行為、男性の側からは発想しにくいであろう女性の権利の侵害行為が明らかになる。妊娠しないままでいる権利を法益とした場合、避妊しない性交は法益の侵害を意味する。行為の主体は男性で、客体は女性である。望まない妊娠があって、自己堕胎が発生するとしう因果関係を考慮するのなら、まず確立しなければならないのは、堕胎罪の運用方法より、この権利侵害の「犯罪」であろう。「犯罪」の刑罰を設定することによって、主体である男性は規範を動機づけられ、女性の権利侵害を安々と行わなくなる。これは、堕胎を減少させ、結局のところ堕胎罪が求める規範に合致するのである。
著者
江口 惠子
出版者
長崎純心大学・長崎純心大学短期大学部
雑誌
人間文化研究
巻号頁・発行日
vol.1, pp.33-46, 2003-03-01

救護施設についての研究は少なく,利用者については,ほとんど研究対象になっていない。救護施設はそれぞれの施設によって,利用者形態が異なっている。どの施設を救護施設の現状と捉えるかは,判断に迷うところである。その地域で,さまざまな障害形態の人がいる。その状況に応じた形を持つ施設が,救護施設である。筆者は救護施設に勤務する中で,救護施設利用者が年々変化していることを痛感している。その利用者が,社会・経済・福祉政策・法律に最も左右されてきた人々ではないかと考えた。本稿では,(1)救護施設利用者の変遷を通じて,救護施設が変化し,時代的に展開していることを明らかにする。(2)年代別の全国救護施設の実態を明らかにし,救護施設と社会,経済,法律,貧困者・障害者政策との関係を考察する。(3)救護施設とその利用者が,時代経過の中で,どのような位置付けをされていたかを検証する。