著者
板山 真弓
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.70, no.2, pp.2_186-2_207, 2019 (Released:2020-12-21)
参考文献数
19

1978年の 「日米防衛協力のための指針」 策定は、従来、秘密裡になされていた共同計画策定が公式化された、日米安全保障関係史上、画期的な出来事だと位置づけられる。本論文では、この 「指針」 策定をもたらす契機となった米国側のイニシアチブ、すなわち公式化要請の背景には、従来見逃されてきた、米国の国内政治要因があったのではないかとの仮説を提示する。具体的には、米=タイ間の秘密裡の共同計画が米軍の越権により策定された等と議会で問題視されたことを受け、日本との同様のそれについても批判を受けるのではないかと危惧されたことが背景にあったとする。他方、 「指針」 策定作業においては、この米国側の要請を受けた日本側が 「指針」 の基礎となる文書を起草する等、イニシアチブを取ることとなった。これは、日本の国内政治上の理由より、共同計画策定が秘密裡に実施されるようになったとの歴史的経緯より、公式化を実現する上では、日本側が自らの問題を解決すること、すなわち、日本国内において共同計画策定に関する政治的なコンセンサスを形成することが最も重要な課題であったことに由来する。