著者
林 哲志
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2003, pp.78, 2003

_I_.はじめに 愛知県の最南部に位置する渥美半島は、我が国では数少ない東西方向に伸びた半島である。半島の南側は太平洋で、暖流の黒潮が流れているため「常春の岬」と宣伝に謳われる。しかし、風が強く、特に冬期の北西風は体感気温を下げている。そして、ここには縄文時代の貝塚などの遺跡がいくつか展開している。渥美半島の3大貝塚(拠点貝塚)といわれる、吉胡貝塚・伊川津貝塚・保美貝塚の他、北屋敷貝塚・下地貝塚・八幡上貝塚・川地貝塚などが、おもに半島北側の三河湾に面した地域に分布している。この発表は、縄文時代の後半、後期・晩期と区分された時期の渥美半島における縄文人の生活環境や生活様式について考察するものである。そして、今回は主に、人骨出土数日本一といわれる吉胡貝塚の発掘データや周辺環境についてのフィールド調査の結果から、人々がどのような環境で生活を営んでいたか、「暮らし振り」をまとめてみたい。_II_.これまでの発掘調査の経緯吉胡貝塚の発掘は、大正11・12年の清野謙次による多数の縄文人骨発見にはじまり、昭和26年には文化財保護委員会と愛知県教育委員会による「国営発掘第1号」となる調査が行われた。その後、昭和55年に田原町教育委員会による遺跡の範囲を確定するための発掘が行われ、昭和58年には同じく町教委が貝層断面模型を作成するための調査が実施された。最近では、平成7・8年度に貝塚の北西側で区画整理事業にともなう調査が行われた。そして、平成13・14・15年度には史跡整備のための範囲確認調査が実施され、「現況地形」「貝塚範囲」「居住域」「当時の自然環境」「過去の調査区位置」「保存状況」の解明を進めている。以上のように、度重なる発掘調査ごとに報告書や論文などの文献が発行され、基礎データとして活用することができた。_III_.結果の概要今回の考察は、これまで考古学や人類学・民族学などの分野の研究者が行なってきた調査やそこから得られたデータを活用し、人文地理学的な見地から吉胡貝塚における「暮らし振り」をまとめたものである。それを列挙すると次のとおりである。_丸1_柱穴の遺構より、住居址はあったが集落が形成された根拠までは見出せない。_丸2_貝塚や墓があることから生活の場であったことは確実である。_丸3_段丘上は礫質の土壌であるため、柱が容易に建てられず、住居址は認められない。_丸4_貝塚が立地する背景に、河川と海の接点である干潟の存在があるが、吉胡においても汐川干潟が生活の舞台であった。_丸5_貝層の含有物より、人々の食生活は海・川・山(陸地)など周辺環境すべてに依存していた。_丸6_貝塚は段丘崖下に位置しており、そのあたりでは水利が良い。_丸7_段丘上と崖下では気候環境が異なり、前者は冬の季節風が強く、後者は夏の風通しが悪い。季節間の移住が考えられる。