著者
染谷 臣道 WIBAWARTA Bambang
出版者
国際基督教大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2004

「大逆事件」に連座した関係者の断罪によって日本の民主化は大きく後退することになった。その歴史的経過について、また、「大逆事件」の犠牲者ゆかりの地で展開されている現時点での市民運動について、関連文献と現地調査によって明らかにした。すなわち「大逆事件」に連座した一群の知識人すなわち幸徳秋水については、その生誕地である高知県中村市(現四万十市)で、大石誠之助、高木顕明、峰尾節堂については、和歌山県新宮市、成石平四郎、勘三郎兄弟については和歌山県本宮町、内山愚堂については、和歌山県中辺路町と神奈川県箱根町の林泉寺などを訪れ、関係者にインタビューし、多くの資料を得た。また、「大逆事件」に強い反応を見せた石川啄木ゆかりの岩手県玉山村字渋民、北海道の函館、小樽などを訪れ、彼がたどった足跡を追った。スハルト体制下で弾圧を受けた知識人については、フランスのパリやオランダのアムステルダムやライデンに在住するSimon Sobron Aidit, Ki Budiman, Mintardjo, Usmar Said氏らを訪れ、多くの資料を得た。ジャカルタ、ジョグジャカルタでは、Pramoedya Ananta Toer, Amarzan Loebis, Joko Pekik氏らを訪れ、多くの資料を得た。明治期の日本とスハルト体制下のインドネシアを比較した結果、いわゆる知識人は大きく三つに分類できるのではないかと考えた。すなわち真理を追究し、現世的な関心をもたない知識人(intellectuals)と、政治経済に深く関わろうとした知識人(intelligentsia)とその中間的存在である。それぞれがどのような役割を果たしたのか、を考察した。