著者
柴田 英知
雑誌
人間文化研究 = Studies in Humanities and Cultures (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
no.38, pp.47-81, 2022-07-31

2021 年9 月30 日に通水60 周年を迎えた愛知用水は、世界銀行の融資を受けた戦後初の地域総合開発事業であり、日本の経済発展を支えた社会基盤のひとつである。近年、望ましい官民連携のあり方を考える参加型プロジェクトとして再評価されるべきとの声もある。愛知用水の発起人である久野庄太郎は、今日でこそ、愛知用水の生みの親として顕彰されているが、一時期、愛知用水建設推進運動から追放され表舞台から消えていた。その後、久野が愛知臨海工業地帯の誘致や愛知海道(第二東海道)という地域開発事業の推進などに従事したことは、『人間文化研究』第37号の拙稿にて明らかにした。 本稿は、その空白期間、久野の会社倒産による破産や愛知用水の建設推進運動からの追放、西田天香が主宰する一燈園への隠栖と、その後の心境の変化などについて考察する。特に、久野が執筆した小冊子『光水(旅行)漫録』が書かれた経緯と内容に着目する。 考察の結果、1954年に破産してから1961年に免責になるまでの期間は、久野にとって空白の期間ではなかったことが判明した。愛知用水の建設推進運動から追放され、一燈園への隠栖による内省の時期をへて、久野は、愛知用水はつくるだけでは「駄目」で、それを「保全する必要と仕方」が大切であるとの「大乗愛知用水観」に達した。それをふまえて、愛知臨海工業地帯の誘致、三町合併、佐布里池の建設推進などに新たな気持ちで取り組んだ。そのために活用されたのが『光水(旅行)漫録』であった。 存在が確認されている『光水(旅行)漫録』は、16冊のB6、A5あるいはB5判の冊子で、大きく4つのテーマに分類される。久野の「大乗愛知用水観」にもとづく愛知臨海工業地帯の誘致が中心テーマだが、他にも、農業開発地域の視察報告、愛知用水への提言、具体的には地域住民の人心開発や愛知用水公団や愛知用水土地改良区への提言、受益農民向けの営農方法の改善、そして、久野が新たに立ち上げた献体検眼団体である不老会の紹介などが語られた。これらの語りは、久野の内省と農業開発の枠をこえた地域総合開発観の深化であった。 この経験が、1962年10月からの個人雑誌『躬行者』の発行や、愛知海道(第二東海道)の建設推進への伏線となる。今まで言われてきた「愛知用水の久野庄太郎」から大きく「地域総合開発の久野庄太郎」に舵を切ることになったのが、この空白の期間であった。