著者
根本 裕史
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.57, no.3, pp.1268-1272, 2009-03-25

本稿の目的はゲルク派の学者達が「常住(rtag pa)」という概念をどのように理解しているか明らかにすることである.同派の学者達はサキャ派の見解と対照的に,常住な物の存在を積極的に認める立場に立っている.ツォンカパやチャンキャ・ルルペードルジェはダルマキールティのPramanavarttika II 204cdに依拠して,「常住」とは「それ自体が消滅しないこと」を意味すると解釈した.ゲルク派の学者達によれば,「常住」を「常に存在すること」の意味で捉えるのは毘婆沙師と非仏教徒の劣った見解に過ぎず,経量部などその他の仏教学派の見解では常住な物は必ずしも常に存在するとは限らない.例えば壼に限定された法性(空性)は「一時的にのみ存在する常住者(res 'ga' ba'i rtag pa)」であるとされる.なぜなら壺の法性は壺の存在時にのみ存在し,なおかつ,消滅の作用を受けない存在だからである.ここで「消滅」という語が「なくなること」ではなく,むしろ「変化すること」の意味で用いられている点には注意を要するであろう.壺の法性は壺が存在しなくなれば壼と共になくなるが,そのことは壺の法性が消滅したことを意味しない.ゲルク派の学者達によれば,常住な物には未来(未だ生起していない状態)も現在(現に生起している状態)も過去(既に消滅した状態)もない.それは非時間的(dus bral)な存在である.時間的変化とは無縁の存在のことをゲルク派の学者達は「常住」と言い,「無為法」と言う.そして,それは彼らにとって「法性」や「涅槃」といった仏教教義を語る上でなくてはならない存在なのである.