著者
桑原 昌宏
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.122-130, 1991-04-20 (Released:2017-04-27)

人の死について医療費という経済性や,臓器提供という効率性という観点のみから考えることは避けた方がよい。社会保険からの支出が大きいといっても,脳死者が被保険者の場合,保険料を月々積み立ててきたことを見逃すことはできない。それに,社会保険はもともと多額の医療費が必要な人のために保険料を積立ててきたものだからである。また脳死者への医療費の医療費全体に占める比率は多いとはいえない。健保組合で本人に償還される高額医療費は,医療費の1.8%で,このことからも推測される。回復の見込みのない脳死者への医療費支出は治療のためではないが,その家族のためである。医療保険から埋葬料も支払われているように,家族のために脳死者の医療費が支払らわれても,制度としてはおかしいわけではない。もっとも重要なことは,やはり現在の日本社会で,死についての考え方が多様であって,それらが宗教や伝統に根ざしていることにある。瞳孔(どうこう)散大,呼吸停止,心臓停止という三徴死の徴候がそろうまでは死と認めない患者と家族が現にいる。その人達が貧しくて,患者に人工呼吸器をつける医療費も払えない場合もあるだろう。それが数少なくとも社会保険は,社会的弱者を保護するためにあるのだから,その適用を認めてもよいといえる。医療機関が研究や実験に用いる場合は別である。社会保険制度は,最高裁も認めているように,加入者の相互扶助の精神に基づいているのである。要するに,臓器提供をする,しないにかかわらず,脳死状態の医療費に社会保険を適用してもよいのではなかろうか。