著者
桑畑 光博
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.41, no.4, pp.317-330, 2002-08-01 (Released:2009-08-21)
参考文献数
66
被引用文献数
6 7 2

鬼界アカホヤ噴火は,九州の縄文土器編年に対応させると,轟A式古段階から新段階の間に起こったと推定される.また,九州のほぼ全域に展開していた轟A式土器の製作情報が,噴火の影響によって断絶することはなく,土器文化は継続したと推察される.他方,約半分の地域が鬼界アカホヤ噴火に伴う火砕流の直撃を受けたとされる南九州地方を対象として,鬼界アカホヤ降下後の遺跡の状況から生活環境の回復過程をみると,鬼界アカホヤ噴火直後には,南九州中部以北にしか遺跡の分布は認められず,それ以南ではしばらく生活が再開されなかったようである.轟B式中段階(約5,500yrs BP)になると,南九州本土においては,定着的な遺跡の形成が各地に認められる.しかし,鬼界カルデラにより近い大隅諸島や薩摩・大隅半島の南端部では,轟B式中段階になっても遺跡の規模は貧弱であり,定着的な遺跡が形成される時期は,さらにあとの曽畑式期(約5,100yrs BP)以降である.また,鬼界アカホヤ噴火後まもない時期には,南九州のほぼ全域において,堅果類の加工具である磨石・石皿類の割合が極端に少ないという傾向が認められる.このことから,噴火の影響によって,堅果類を生産する森林植生は大きなダメージを受けていたと推察される.磨石・石皿類が増加し,森林植生の回復がうかがわれる時期は,南九州の中部以北では遅くとも轟B式中段階以降であり,南部においては轟B式新段階から曽畑式期以降であると考えられる.