- 著者
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梁 敏玲
- 出版者
- 社会経済史学会
- 雑誌
- 社会経済史学 (ISSN:00380113)
- 巻号頁・発行日
- vol.79, no.3, pp.333-352, 2013-11-25 (Released:2017-05-17)
本稿は,広東省の省城広州を事例とし,「城防」(城壁都市の守備・治安維持)という面から清代城郭都市の一端を明らかにしようとするものである。帝政時代の中国では,一般に官庁所在地は城壁によって囲まれており,行政拠点である城の守備を目的として軍隊・防衛施設が設置されていた。清代の広州城には,八旗・緑営の双方が駐屯し,更に緑営の中でも,一般緑営軍制の一部として各城に配置される城守協のほか,八旗将軍直属の緑営軍隊や,広東巡撫(1746年から両広総督も広州に移駐)及びその直属の緑営軍隊も広州城に駐屯していた。城防は異なる系統の軍隊によって行われており,諸系統が各自の管轄区域を持ち,互いの間に直接・間接の上下関係があった。八旗の緑営に対する監視・コントロールや諸系統の相互の制御・協力から見れば,このような城防は緊密に構造化された体系ではなく,むしろそれぞれが中央と結びついた各種の軍隊からなる緩い集合体であった。長い平和期の間に,柔軟性を持つ城防システム内部では,状況に対応しつつ様々な調整が行われており,その過程で,八旗の駐屯はより象徴的な存在となってきたといえる。