著者
梶山 智史
出版者
史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)
雑誌
史林 = THE SHIRIN or the JOURNAL OF HISTORY (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.96, no.6, pp.815-848, 2013-11-30

本稿は北魏後期に史学を掌る家として繁栄した東清河崔氏一族の動向を辿り、その中で一族出身の崔鴻が五胡十六国の史書『十六国春秋』を編纂した背景について考察した。この一族は五世紀後半に南朝宋から北魏に帰順した。冬山の伯父崔光は深い学識をもとに北魏後期の漢化を志向する政治で活躍した。注目すべきは、長く国史編纂を担当したことである。一方、崔鴻も学識をもって北魏に仕えて起居注編纂などに携り、崔光の死後は国史編纂を受け継いだ。かかる境遇にあった彼が編纂した『十六国春秋』は、国号「魏」を定めた道武帝以降を叙述対象とする崔光の国史を前提とし、国史以前の歴史をまとめたものであった。しかし十六国史の位置づけは北魏の前身である代国の歴史とも関わる難しい問題であり、『十六国春秋』の筆法は代国を軽視していると批判される可能性があった。崔鴻の死後に同書が公開されると果して批判が噴出し、その影響で一族は没落したのである。