著者
棚村 惠子
出版者
東京女子大学論集編集委員会
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.127-144, 2013-09

東京女子大学初代学長新渡戸稲造の教育理念としての「犠牲と奉仕」は、女性を一人の人格とみなす彼の人格教育論や実践と分かちがたく結びついている。新渡戸の提唱による二つのS(Service and Sacrificeの頭文字)は学校の記章のデザインとしてだけでなく、実際の生き方として創立当初から今日に至るまで学生や卒業生の人生を導いてきた。新渡戸の教育論は、良妻賢母主義教育とは根本的に異なるだけでなく、19世紀の後半にアメリカ社会で女子教育論として広く認められたキャサリン・ビーチャーの「女性の領域論」に基づく「家庭のための女子教育」やプロテスタント主流派の婦人海外伝道局が唱道した「神の国のための女子教育」とも異なり、さらに、男女平等論によるエリザベス・スタントンらが求めた「自立のための女子教育論」とも異なる独自の女子教育論であった。キリストの生き方をモデルにし「基督の心持」と表現された新渡戸の「犠牲と奉仕」の精神は神に自らを捧げる献身と家庭や社会、国家に自らを捧げる奉仕とを「悲哀」(Sorrow)役割によって結び付ける点がユニークである。悲哀の経験は他者への共感を生み、奉仕へとつながるからである。3つのSで表された彼の教育論は、現代社会に逆行しているように見えつつ、2011年の震災後の悲哀に満ちた日本社会を共感に満ちた社会にするために必要かつ有効な教育論であると思われる。