著者
榊 佳子
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.141, pp.41-60, 2008-03-31

日本古代の喪葬儀礼は七世紀から八世紀にかけて大きく変化した。そして喪葬儀礼に供奉する役割も、持統大葬以降は四等官制に基づく装束司・山作司などの葬司が臨時に任命されるようになった。葬司の任命に関しては、特定の氏族に任命が集中する傾向があり、諸王・藤原朝臣・石川朝臣・大伴宿祢・石上朝臣・紀朝臣・多治比真人・佐伯宿祢・阿倍朝臣が葬司に頻繁に任命されていた。これらの氏族が何故頻繁に葬司に任命されていたか、その理由を検討すると、諸王や真人姓などの皇親氏族の場合、天皇の親族であることが任命される理由であり、藤原氏も当初は葬司への任命はあまりなかったものの、天皇外戚になったことから重用されるようになったと考えられる。その他の氏族は、もともと食膳奉仕や宮城守衛などの職掌を担っていた氏族であり、さらに天皇の殯宮にても同様に食膳奉仕や殯宮守衛を行っていたことが、葬司任命につながったものと思われる。つまり葬司は喪葬儀礼の変化の中で新たに設けられたものであったものの、その任命に当たっては実際には以前からの喪葬儀礼の影響を強く受けたものであった。なお喪葬儀礼専掌氏族として有名な土師氏は、葬司にはほとんど任命されていなかったが、実際には六世紀後半以降、天皇の殯を管掌する役割を担っており、八世紀を通じて遺体に食膳を献上するなどの奉仕を行っていた。