著者
横井 滋子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.90, no.3, pp.51-73, 2016-12-30 (Released:2017-09-15)

空の思想を確立した龍樹は、本質(essentia)は否定したが、実存(existentia)については明確に説明していないことが指摘されている。本稿は、この点に関して、正しい空性理解を提示する意図のもとに無著が著した『菩薩地』「真実義品」を通して、空としての「私」の存在がなぜ現実に現れているのかを考察した。その際、空の思想において究極なる真実である真如の側面と、「私」を出現させる言語表現の基体となる二つの側面を併せもつヴァスツ(vastu)という術語に焦点を当て、ヴァスツと認識の関係を検討することを通して現実に立ち現れてくる「私」の根拠を考察した。結論として、「私」とヴァスツは不即不離の関係にあり、「私」は、真如から名称によって呼び出されることによって、他から切り離され固有に存在すると認識されるものとして、一時的に現象している事態であることが見出された。つまり、「真実義品」の地平においては、現象としての「私」に永遠不滅のヴァスツが息づいているのである。