著者
櫻井 美香
出版者
小樽市総合博物館
雑誌
奨励研究
巻号頁・発行日
2013-04-01

菓子の木型は落雁などの干菓子や、練きり等の製作時に使用する道具であるが、環境が良ければ長い年月保存できるため、地域の菓子文化や菓子業界の歴史を知るための貴重な資料である。しかし近年、和菓子店は後継者不足や和菓子の売上不振により廃業する事例が相次ぎ、全国各地で木型が流出・散逸している。そこで小樽市内の菓子店に現在残されている木型の悉皆調査をおこない、市内の菓子文化についての現状記録を行った。さらに北海道の開拓期における菓子文化の伝播を探るため、小樽市と同様に北前船の交易拠点だった道南の港町と、それらとの比較のため太平洋側の浦河町と内陸の帯広市、本別町でも調査をおこなった。調査方法は、木型に彫刻されている意匠や打刻印・焼印、記載されている文字、大きさの測定、写真撮影による記録である。また菓子店の経営者や町民に、店の歴史や菓子を利用する行事等の聞き取り調査をおこなった。その結果、以下の点が明らかになった。1. 明治初期から経済活動の中心であった函館市や小樽市では、移住者により次々と菓子店が開業し、そこで修行をした職人が道内各地で独立開業していった。2. 道内における木型の彫刻師の系譜が一部明らかになった。明治初期までは本州から北前船によって木型もしくは彫刻師が北海道に運ばれていたと思われる。明治なかばには兼業ではあるが彫刻師が誕生した。さらに昭和になると菓子の需要増加に伴い、旭川市と小樽市で木型の彫刻を専門におこなう彫刻師が活躍した。3. 漁村と農村では木型を使用した菓子の利用に違いがみられた。明治初期、北海道各地に集落が形成されたが、その早い段階で菓子屋が存在、活動したことがうかがわれ、「贅沢品」と思われていた菓子が、集落形成に必要な業種であった可能性が見いだされ、開拓期の北海道史に新たな視点の提示が可能となった。