著者
武田 明子
出版者
奈良大学史学会
雑誌
奈良史学 (ISSN:02894874)
巻号頁・発行日
no.17, pp.41-62, 1999

江戸時代末期の庶民の生活を描いた『守貞漫稿』によると、京都の髪結の記述に「毎坊、會所ト号ケテ、市民會合ノ家一戸ヲ置ク」とあり、近世の京都の町には木戸や番所と同じく、一般的に町有の施設として町会所が置かれていた。町会所は、恒常的な自治運営の場であり、町と共同体の性格を見る上で非常に重要な共有施設であるが、その実態や成立については十分に明らかにされていないのが実情である。京都の町会所についての研究は、川上貢氏と谷直樹氏による『祇園祭山鉾町会所建築の調査報告本文編』が主なものである。山鉾町の町会所を中心に述べられており、町会所は町衆自治の伝統を継承し、育んできた町の核であったとしている。そこで本論では、京都市中の町会所を対象にして、近世の京都における町会所の役割について述べたいと思う。京都の町会所は、原則的に各町に設けられたが、行政の末端組織として取り込まれていたとされている。しかし、権力者側のみの要求で存在したものではなく、町の共同体側からの必要性にも支えられて恒常的な施設として存在していたのではないだろうか。従って、町会所が町の人々にとってどのような存在であり、役割を担っていたのかを述べることによって、町共同体からの必要性を考察したい。また、会所の役割を分析することにより、京都がどのような性格をもった都市であったのかについても考察したいと思う。内容構成においては、はじめに町会所の初見や成立要因を探り、会所の成立意義について考察する。ついで会所の設立や構造、利用方法について具体的な事例を検討し、会所の実態に迫りたい。さらに、町会所の様々な機能についても事例を集め、町共同体にとって会所がどのような役割を果たしていたのか、また、その背景について述べることにする。