56 0 0 0 OA 水谷禽譜

著者
水谷豊文
出版者
巻号頁・発行日
vol.[4],

3 0 0 0 OA 虫豸写真

著者
〔水谷豊文//画〕
出版者

昆虫の彩色写生図帳。元表紙の書名は『虫豸写真』で、「水谷豊文翁自筆」と角書がある。水谷豊文(1779-1833)は尾張藩士で、京都の小野蘭山(1729-1800)に本草学を学び、本草学の研究会「嘗百社」を結成・主宰して、すぐれた弟子を育てた。元表紙には、弟子のひとり伊藤圭介(1803-1901)によって「鉤致水谷先生ノ手写蟲譜ニシテ精巧真ニ逼ル錦窠百珍之一」と墨書され、「永世保存⁄錦窠物産庫⁄禁出門外」という朱印が押されている。「錦窠」は圭介の号。また、元表紙見返しの明治35年8月付伊藤篤太郎(圭介の孫)の識語には、書中に貼付されている名称等を記した小紙片は豊文によるものであり、これに自身追加記入をしたと記されている。

2 0 0 0 OA 朝顔雑記

著者
水谷豊文
出版者
巻号頁・発行日
vol.[1],

2 0 0 0 OA 禽譜 7巻

著者
水谷豊文//〔著〕
出版者

尾張藩士水谷豊文(1779-1833)編著の鳥類図譜。和名のいろは順に排列し、彩色図に解説を付す。当館本は、題箋に「水谷禽譜」とあり、豊文の自筆本のようにも伝えられているが、豊文旧蔵本(名古屋市博物館蔵)と比べて稚拙な描写、単調な彩色の絵が多い。また、本書第1冊目巻首の4丁は、匡郭外右下部に「丹波氏蔵」と刷り込まれた料紙が使用されるなど、全体的に料紙が一様でないこと、この巻首4丁の最終丁末尾には〔明治〕14年7月付で、豊文の弟子で本書の旧蔵者である伊藤圭介(1803-1901)による、「右禽譜中不足分物品識名(豊文の著書)で引合不足ノ分ナリ」といった書き入れがあること、また、解説文の字体が幾種類かみられる上に、所々に圭介やその孫篤太郎による朱筆の訂正や書き入れ等が見られること等から、同一人の手になるものではなく、豊文の自筆本でもないことが推知される。当館では、他に本書の写本のひとつである『水谷氏禽譜』(8冊、請求記号:寅-12)等も所蔵する。

2 0 0 0 OA 禽譜

著者
水谷豊文//〔著〕
出版者
巻号頁・発行日
vol.2 知行(ち~か),

2 0 0 0 OA 本草綱目紀聞

著者
水谷豊文 著
出版者
神谷三園 写
巻号頁・発行日
vol.[1],

1 0 0 0 OA 朝顔雑記

著者
水谷豊文
出版者
巻号頁・発行日
vol.[2],

1 0 0 0 OA 水谷禽譜

著者
水谷豊文
出版者
巻号頁・発行日
vol.[1],

1 0 0 0 OA 本草綱目紀聞

著者
水谷豊文 著
出版者
神谷三園 写
巻号頁・発行日
vol.[23],
著者
水谷豊文 [著]
出版者
三園 [写]
巻号頁・発行日
1850

1 0 0 0 OA 本草綱目紀聞

著者
水谷豊文 著
出版者
神谷三園 写
巻号頁・発行日
vol.[22],

1 0 0 0 OA 本草綱目紀聞

著者
水谷豊文 著
出版者
神谷三園 写
巻号頁・発行日
vol.[8],

1 0 0 0 OA 禽譜

著者
水谷豊文//〔著〕
出版者
巻号頁・発行日
vol.3 与(よ~な),

1 0 0 0 OA 本草綱目紀聞

著者
水谷豊文 著
出版者
神谷三園 写
巻号頁・発行日
vol.[17],

1 0 0 0 OA 水谷禽譜

著者
水谷豊文
出版者
伊藤篤太郎写
巻号頁・発行日
vol.巻5,

1 0 0 0 OA 禽譜

著者
水谷豊文//〔著〕
出版者
巻号頁・発行日
vol.4 良行(ら~く),