著者
水越 あゆみ
出版者
帝京大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2004

後期浪漫主義運動のリーダー与謝野鉄幹は、機関誌『明星』にて「われらは互に自我の詩を発揮せんとす」と高らかに宣言した。旧態依然とした旧派和歌を激しく攻撃した鉄幹は、伝統的な作歌上の煩雑な規則ではなく、「自我」を創作の根源にすえることを主張したのである。この新しい「自我」概念は、明治20年代から30年代にかけての浪漫主義を最も顕著に特徴づけるものである。明治20年代の前期浪漫主義を代表する北村透谷と島崎藤村は、多感な人格形成期に西洋文学、特に英国ロマン主義の洗礼を受け、その後自身の作品において「このおのれてふあやしきもの」(北村透谷『蓬莱曲』)の探究を続けた。明治30年代後期浪漫主義を代表する与謝野晶子は、ロマン主義の息吹を吹き込まれた新文学に触発されて藤村調新体詩の模倣から創作活動に入り、やがて千年以上もの伝統を持つ和歌の形式に「われ」の心情を読み込んだ「自我独創の詩」としての近代短歌を確立した。日本近代文学史におけて、明治浪漫主義は何より「自我」の発見・確立の試みというクリシェで語られる。しかし、「近代自我」のモデルとなった自律的主体としての西洋的自我が解体された現在、近代文学作品の評価基準として長らく自明のものとされてきた「近代自我」も再考を迫られている。さらに、「近代自我」の確立の歴史的プロセスとして構築されてきた「近代文学史」や、「近代文学」すなわち「国民文学」ももはや自明ではない。本研究は、英国ロマン主義と明治浪漫主義の比較文学研究的な視点から、「近代自我(the modern self)」「文学史(literary history)」「国民文学(national literature)」という諸概念を再考察するものである。