1 0 0 0 IR 道照伝考

著者
水野 柳太郎
出版者
奈良大学史学会
雑誌
奈良史学 (ISSN:02894874)
巻号頁・発行日
no.1, pp.1-30, 1983-12

古代仏教史において、道照は重要な人物の一人とされている。道照に関する基本的な史料には、八世紀末の『続日本紀』文武天皇四年(七〇〇)三月己未条の道照の死亡記事に附載された道照伝、九世紀に入ると『日本霊異記』上巻第二二話の「勤求学仏教、法利物、臨命終時、示異表縁第廿二」と題する道照説話、および『三代実録』元慶元年(八七七)十二月十六日壬午条がある。従来は、これに『扶桑略記』や『今昔物語』など後出の史料を加えて、充分な史料批判を加えることなく、道照を考察していた。小論では、主として『続紀』道照伝と『霊異記』道照説話を比較検討することにより、両者の史料的性格を明らかにするとともに、それを通じて道照に関する史実を確認したい。両者の類似点と相違点について、すでに松浦貞俊氏が考察しておられるが、両者の関係については、想ふに道昭の伝記記録に二つ以上あって、霊異記の著者は其一を執たものであらうか。とするのみで、深く言及しておられない。この点については、更に追求できると思われるので、本稿では段落をつけて比較考察し、両者の性格やそれぞれの原資料を明らかにしたい。
著者
水野 柳太郎
出版者
奈良大学史学会
雑誌
奈良史学 (ISSN:02894874)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.1-26, 1991-12

『日本霊異記』上巻第五話「信敬三寳得現報縁」には、はじめに、 大花位大部屋栖野古連公者、紀伊國名草郡宇治大伴連 等先祖也。天年澄情、重尊三寳。案本記日。①とあって、これ以下は「本記」に依って「大部屋栖野古」と聖徳太子に関する説話を記している。この「本記」は、八世紀中ごろ以降に、屋栖野古の功績を述べ、紀伊国名草郡の宇治大伴連が改姓を願い、あるいは郡司の譜第の承認求めたときの上申文書であろう。「大部屋栖野古連公」を、大伴氏の中心人物であるとする見解がまま見受けられるが、説話の内容を過信した誤解であって、紀伊の国大伴連に関する説話であることはいうまでもない。「本記」に見える日付にはおよそ三種類があって、『日本書紀』の日付や記事と奇妙な関係がある。これは、「本記」の作成にあたり、『書紀』編纂の材料と関係があるいくつかの寺院縁起などを見て、その年月と内容、あるいは適当な年月・年月と日付の干支などを利用したことによって生じていると考えられる。「本記」の成立時期は降っても、そこに利用された寺院縁起には、『書紀』の材料となった時期の姿を遺すところもあると考えられるので、この点に注目して考察を進めたい。『霊異記』の引用は、「興福寺本」と「国会図書館本」を利用して、意味が通ずるように私見によって改めた。引用の順は、『霊異記』の段落の順ではないので、文末に『霊異記』の記載による段落の順序を示しておく。なお、「屋栖野古」は、これ以後すべて「屋栖古」になっているので、「野」を窟入と考え、「屋栖古」とする。