著者
永井 治郎
出版者
公益財団法人 損害保険事業総合研究所
雑誌
損害保険研究 (ISSN:02876337)
巻号頁・発行日
vol.78, no.2, pp.139-172, 2016 (Released:2019-04-05)
参考文献数
49

17世紀のイギリスに活躍したニコラス・バーボン(N. Barbon)は,今日,「The Fire officeの創設者」と「重商主義思想の代表者」という2つの側面をもつ。本稿はこの両側面を統一的に把握するものである。そのとき,特に2つの点に注目する。 1つは,バーボンがThe Fire Officeの設立過程で,火災の発生にある法則性を感知し,これを「事故の不変の成り行き」(the constant course of accidents)と呼んだことである。ヤコブ・ベルヌーイ(J. Bernoulli)に先立つこの「大数の法則」の感知は,その後のバーボンの経済思想に対し,方法論的・経済論的に重大な影響を及ぼした。 もう1つは,バーボンがThe Fire OfficeとFriendly Societyとの対立をとおして,「基金なければ保険なし」(There can be no Insurance, unless there be a Fund Setled)という結論に至ったことである。The Fire Officeは,自らの保険基金(支払準備金)を利子生み資本(Zinstragendes Kapital)(=広義の貸付資本)に転化することで,保険の近代化を達成するが,このことは,晩年のバーボン銀行(The Land-Bank established, Anno Dom. 1695)の信用形成にも多大な影響を与えた。 バーボンの人物像は,この2点に注目するとき,全体的に把握される。
著者
永井 治郎
出版者
公益財団法人 損害保険事業総合研究所
雑誌
損害保険研究 (ISSN:02876337)
巻号頁・発行日
vol.76, no.3, pp.103-133, 2014-11-25 (Released:2019-07-21)
参考文献数
32

この小論はイギリス名誉革命期より18世紀前半に至る火災保険近代化の歩みを辿るものである。そのとき保険をなによりも信用制度として把握し,その中核となる保険信用つまり保険金支払いに対する信認の変遷に焦点が絞られる。最初にThe Fire officeが土地保障に基づく信用の創設を行った後,The Friendly Society等が追徴金と預託金に基づく信用を形成するが,やがてその中心は追徴金から預託金へと移行する。そしてThe Sun Fire Officeでは常設基金が登場し,最終的に二大特許会社が資本金と前払確定保険料をもつに至って,保険信用の近代化は完成する。この歩みは同時に,それぞれの時期に保険を構成した人々の利害関係を反映している。これを大きく地主階層(OWNER)のものと商人階層(TRADER)のものとに分けると,前者には土地所有が,後者には商品流通に伴う抵当制度と手形流通が深く関わっていることが判る。近代保険はこれら2つの要素の統合の下に誕生したのである。