- 著者
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永広 兆子
- 出版者
- 日本美術教育学会
- 雑誌
- 美術教育 (ISSN:13434918)
- 巻号頁・発行日
- vol.1993, no.267, pp.1, 1993
春、桜前線の北上にしたがい本校の校庭にも桜が咲いた4月1日、私は今福小学校に赴任した。<BR>校門をくぐった時、桜の大木が私を迎えてくれた。桜はもうすぐ満開の感を示している。子どもたちの入学式4月9日には満開になってほしいなと心待ちした。聞けば、この校門の桜は毎年入学式ごろが満開だそうである。<BR>入学式当日は満開の桜の下を新入生がやってくる。親子つれだって桜の木を背景にカメラにおさめている。式後、恒例で桜の木の所で入学の記念写真を撮る。撮り終ると子どもたちは黄色い帽子に散る花びらを追いかけ歓声をあげながら父母と共に校門を出ていく。何ともほほえましい光景があちこちで見られ, 明日からの子どもたちの姿が想像された。<BR>桜の木ってすごいな、これ一本でも子どもたちにあれだけ感動を与える。その存在の大きさに改めてこの大木を見あげたものである。青い空にやわらかいピンクの色の桜花が何ともいえない色あいで私の目を楽しませてくれた。<BR>新入生と上級生の対面式をした日、校庭は桜吹雪が舞って、地面は白いジュータンと化した木の下では、子どもたちが帽子に舞う花びらを受けようと駆け回る。その輪が何重にも広がって、新入生と上級生が入り交じって仲よく駆けていた。さらに私を驚かせたのは、その日の夕暮れ、二年生の男の子と母親が学校を訪れたことである。二年生の教室は今年から二階になっている。二階の窓から見る桜は子どもたちには別の視点から見ることになるので、一年生で見あげた時と違う美しさを感じることができ、大変感動したのだろう。「お母さんにも見せてあげたい」といって勤めから帰った母親を案内してやってきたのである。母と子は夕暮れ時から夜桜の鑑賞ということになった。夜桜を愛でる母と子の光景にも心おどらされた。母を連れ出した子ども、子どもの感動を一緒に、子どもの心になって感じてやろうとする母親、一日の勤めの疲れも忘れて母と子が同じ視点で桜を愛でながら語りあって帰った。本校にはこんなにも感性豊かな子どもがいるのかと思うと、私は前途が明るくなると同時に、この美しい感性を大事に育てることの重大さを痛感した。<BR>現在の子どもには季節感は失われがちで、感性や感受性の喪失を嘆く人がかなりいるが、しかし、この満開の桜の木をみあげながら登校し、また下校時には花吹雪の中を帰っていくこの子らは季節感を体全体で感じとることができる。これほど恵まれた瞬間を持ちあわせている子らは幸せだし、またそういった光景と出会うことになった私自身も幸せだと思う。考えてみると、一本の桜の大木の美しさが、こんなにも人々の心にやきついて美の世界へといざなってくれる一本物の美は、人々に素直に感動を与えるものか一その美の偉大さに驚嘆した。<BR>子どもたちは新しい学年でその適応に精一杯がんばっているうちに桜の春は通りすぎ, 葉桜の季節を迎え、また、その下で季節感を体中で感じ、個々の感動の扉を開いていく。<BR>校庭にメロディー流れ子どもらの桜吹雪の中の歓声<BR>舞い落ちる桜吹雪をあびながら幼ら何を求め歩める<BR>今、子どもたちは、校内で秋を見っけてノートに書きっけている。この子どもたちの感性の芽を大きく育てていきたいと願って、私も本校教育の一層の充実をめざして、日々はげんでいるところである。