著者
奥富 弘樹 永野 征男
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2006, pp.60, 2006

<B>〔1〕研究目的</B>:近年,首都圏の通勤流動は大きく変化し,とくに郊外においては,区部を境に東・西部でその流動が異なる.なかでも鉄道整備を契機に郊外化が進み,その現象の発生時期は,西部地域から約10年遅れて東部地域が追随したと考えられる.<BR>そこで,類似した地理的条件をもつ首都圏の西部地域(多摩市) ,東部地域(印西市)を選定し,その変遷を比較した.<BR><B>〔2〕研究方法</B>:対象地における関係圏の圏域設定を行うために,通勤流動に着目した.そこで流出入のデータと交通網の発展を指標に,時系列変化を分析した.また,交通の発展が通勤者に与える影響をみるために,対象地域内の中心駅(印西市:千葉NT中央駅,多摩市:多摩センター駅)を発地とする等時間通勤圏に関して検討を加えた.<BR><B>〔3〕首都圏西部(多摩市)の事例</B>:首都圏では,1960年以降,郊外から区部への通勤者は増加傾向にあったが,1990年代後半から減少に転じた.なかでも多摩地域は,高い減少傾向がみられた.このことは,東京都の人口重心の移動が,1990年代中頃まで西進していることから,居住者が増加しても区部への通勤率が下がっていることになる.つまり,近年の多摩地域は,かつての区部通勤者の居住地から,周辺域や区外への通勤者の比重が高まりつつある.<BR>本発表では,多摩地域から多摩NTを含む多摩市を選定し,業務核都市の指定(2002),多摩センター駅の開設(1974),京王線の橋本駅まで延長(1990),多摩都市モノレールの全通(2000)を背景に,周辺地域との関係を考察した.<BR><B>a.多摩市からの流出入人口の変化</B>:1990年以降,多摩市からの通勤者数は鈍化している.流出先としては,多摩市およびその周辺域と区部に分かれ,前者は増加傾向にある.一方,流入は増加傾向にあり,80/90年では60%増を示し,90/00年は微増である.多摩市民の市内従業率は,1975年の約60%から,2000年の42%と減少し,東京周辺部に拡散する市外通勤者の増加がみられる.<BR><B>b.中心駅からの等時間通勤圏</B>:通勤者の交通手段の約60%が鉄道であることから,「多摩センター駅」について等時間通勤圏(30分/60分/90分圏)を作成した.これらの圏域は,東・南部方面に広がりを示し,一般的には,郊外都市の鉄道網は大都市方向へ充実,郊外の都市間では乗換え,迂回による所要時間を要する形状となる.<BR><B>〔4〕首都圏東部(印西市)の事例</B>:ここでは千葉県北総地域の中心都市:印西市を選定し,通勤の発地には「千葉NT中央駅」を対象とした.<BR>千葉NTは,首都圏の宅地需要に対処した多摩市と同じ目的で開発され,千葉県の企画(1966),事業開始(1969),入居開始(1979)である.事業スタートは多摩NTと同時期ながら,入居が遅れたために,期間延長となり,宅地開発公団も参画(1978)した.<BR>印西市には計画の約60%が含まれ,中央駅は住宅整備公団鉄道により開設(1984),また北総開発鉄道の都心延伸(1991)により,京成線,都営浅草線,京浜急行線による直通運転が実施された.<BR><B>a.印西市の流出入人口の変化</B>:NT内の鉄道未開通時は,JR成田線,常磐線沿線に通勤者の流出が多く,1985年以降は,新線の開通と都心へのルートが確立したことから,区部の通勤率が増大した.この関係は1995年以降に強まり,都心南部へも拡大した.<BR>流入人口は,流出人口と同様に成田線沿線の我孫子・成田市方面から多くみられたが,1985年以降は県内に拡散した.そして,中央駅周辺の業務街の始動とともに,1995年以降は船橋市などの印西市以西からの高い通勤率がみられるようになった.<BR><B>b.中心駅からの等時間通勤圏</B>:この広がりは,南西から北西方向で大きい.その要因としては,鉄道アクセスの良い西方向と,郊外都市を結ぶ路線の発達による南北方向によるものである.<BR><B>〔5〕要約</B>:以上のように,千葉NT中央駅における等時間通勤圏の広がりと,西部地域の多摩センター駅と比較すると,都心方面へ伸びる圏域の広がりと,それとは反対方向へ伸びる圏域の狭さに共通点がある.<BR>一方,郊外都市間の結びつきでは,鉄道網の形態,また運行状況の変遷が要因となり,横浜・川崎方面のへ広がりに特色があった多摩センター駅と異なり,NT中央駅では松戸・船橋・千葉市方面への郊外都市との結びつきにその特色をみることができる.