著者
能津 和雄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

<b>1.はじめに</b><br>&nbsp; 2016年4月14日の前震、16日の本震の2度にわたって震度7を記録し、1900回以上の揺れを感じた熊本地震は、各地で交通途絶を引き起こした。特に熊本県阿蘇郡南阿蘇村の立野地区における大規模な土砂崩れは、熊本市から阿蘇市を経て大分市に至る主要交通路である国道57号線とJR豊肥本線に甚大な被害をもたらした。中でも国道については従来ルートでの原状回復を断念して、別途北側に復旧ルートを建設することが決定している。<br>&nbsp; このような状況は、九州における一般的な観光形態である周遊型観光に大きな支障をきたしている。特に阿蘇方面と熊本市内方面を組み合わせた周遊ルートは、貧弱な迂回路への交通集中に伴う渋滞が常態化していることもあって、積極的な利用促進ができない状況にある。一方、「熊本地震」のネーミングが観光客に与えた影響は甚大で、熊本県内のみならず、地震の被害を受けていない九州の他の地域にまで風評被害をもたらした。<br>&nbsp; 自然災害による影響は、物理的な損害のみならず、風評被害に代表されるように間接的な被害を受けることも多い。本報告では、九州における周遊型観光の目的地のひとつとして著名な熊本県阿蘇郡南小国町に所在する黒川温泉を事例として取り上げ、熊本地震の影響を検証する。 <br> <b>2.黒川温泉の概要と周遊型観光での位置付け</b><br>&nbsp; 黒川温泉は400年以上にわたる長い歴史を持っているが、全国的に有名な観光地になったのは比較的最近のことである。高度成長期には1964年に開通した九州横断道路が、4kmほど東側に位置する瀬の本に通じたことから、それに便乗して旅館が開業したものの、この時は定番の観光地として定着することができなかった。しかし、1980年代から各旅館が競って露天風呂を作ったことで観光客から注目を浴び、一躍全国区の人気を得ることとなった。その際、旅行会社により前述の九州横断道路を活用したツアーが造成され、他の阿蘇地域の観光地とは切り離された形で周遊型観光に組み込まれた。このため、黒川温泉は熊本県に所在するにもかかわらず、これまで大分県の由布院や宮崎県の高千穂と組み合されることが多かった。もっとも近年では、阿蘇くじゅう観光圏の枠組みで2011年3月から1年間にわたって行われた「阿蘇ゆるっと博」に黒川温泉も参加したことから、熊本県阿蘇地方の一部としての認知度を上げることに成功している。 <br> <b>3.熊本地震が黒川温泉にもたらした影響</b><br>&nbsp; 今回の熊本地震により、黒川温泉においても29軒中3軒の旅館が3ヶ月以上の長期休業を余儀なくされているが、他の旅館での被害は軽微であり、ゴールデンウィーク中にはほぼ通常営業に戻った。しかし、阿蘇経由の熊本市方面からのアクセスが不便となったうえに、福岡方面からの代表的なドライブルートであった国道212号線が熊本県境に近い大分県日田市南部で土砂崩れによる通行止めになったことで、黒川温泉へのルートが不通になったと解釈されたことから訪問客は激減した。一方、九州横断道路については大きな被害はなかったものの、このルートを利用するツアーが軒並み中止されたうえに、定期観光バス「九州横断バス」のうち4往復中3往復が運休したことから、訪問客の減少に輪をかける形となった。その結果各旅館の収入が激減し金融機関から緊急融資を受けたり、宿泊客がいないことにより一時的に休館に追い込まれる旅館も見られた。このため、観光地としての黒川温泉は直接的な被害よりはむしろ、風評被害などによる間接的なダメージの方がはるかに大きかった。 <br> <b>4.今後への展望</b><br>&nbsp; 熊本県観光連盟は阿蘇地域における道路の不通区間を明示したうえで、代替ルートを案内した地図を作成し、6月から各地で配布することで観光客の呼び戻しに力を入れた。また、黒川温泉が所在する南小国町観光協会では、大分自動車道九重インターからの代替ルートを実走した様子を早送りビデオ画像でネット上に公開し、その周知に努めた。さらに7月1日から国の補助金により九州での旅行が割安になる「九州ふっこう割」がスタートした。加えて黒川温泉観光旅館協同組合では、大分県由布院温泉と連携して観光客の誘致に乗り出した。これらの取り組みが功を奏し、7月以降は黒川温泉でも営業しているすべての旅館が満室になる日も出ている。しかし、この事象はあくまでも一時的なものであり、今後の本格的な復興までに長い時間がかかることを考慮すれば、今のうちから長期的視点に立った観光振興を考えるべきである。その際には訪問者の発地別の需要を見極め、交通手段のあり方を再検討したうえで、それに対応した供給を行うことが重要である。 <br> ※本研究はJSPS科研費26360076(研究代表者:能津和雄)の助成を受けた研究成果の一部である。
著者
宇都宮 陽二朗
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.90, 2011

1.はじめに 2007年暮の「元GI、Hitlerの地球儀をオークション出品」のニュースにから2010初夏、念願のKehlsteinhaus (Eagle's Nest)を訪問した。ここでは、ニュース及び公式報告書」「History of the Eagle's Nest」等に基づき、Hitlerの地球儀について、2,3の考察を加える。2. Obersalzberg及びKehlsteinhaus:オーストリアの音楽の町Salzburg南方、約21.3Kmに位置するKehlsteinhausはKehlstein山頂付近に建造されている。攻撃目標として小さいため免れたが、麓のObersalzberg一帯は空爆によりHitlerの別荘Berghofを含め、廃虚と化した。 3. Hitler地球儀のありか:Hitlerの地球儀に関しては、オークション前、9月18日のニューヨークタイムス゛のインタヒ゛ュー記事「Hitler地球儀の謎、世界を廻る」で、元地図技術者Pobanz氏が、1)ヘ゛ルリンのト゛イツ歴史博物館、Märkisches Museumや地理研究所のものは「Hitlerの地球儀」ではない。それは、フォルクスワーケ゛ンと同大で、高価な特注の木製架台を設えた地球儀である。3) Columbus製地球儀はミュンヘンに2個、BreslauとWarsawに各1個存在する。4)新首相府のHitler執務室由来、他は、Nazi 行政庁由来で、「Hitlerの地球儀」といえる。5)新首相府のHitlerの居所の写真に巨大なColumbus製地球儀が写っている。6)しかし、チャッフ゜リンの「独裁者」を想像させる地球儀はなく、Hitlerには地球儀に対する特別な考えはなかったと述べている。 4. 競売に付されたHitler地球儀: 元GIにより競売に出され、サンフランシスコ在住のBob Pritikin氏が落札したBerghof由来の地球儀は半円の金属製支持環、支柱と木製の円形台座を備える卓上型地球儀で、直径と高さは、それぞれ、直径33.2cm、高さ45.7cmを示す。 5. Hitler地球儀の信憑性:Hitlerの別荘(Berghof)で机上の瓦礫に埋もれた地球儀が、Hitler所有物である確証はない。机がHitlerのものか不確かで、元の場所に存在したという確証はなく、総統の所持品としては小さすぎる。目撃者とBerghof側関係者の証言、指紋やDNA鑑定による判定も必要であろう。写真では、Berghof大広間に直径1m余(1.5m以下)の地球儀があるが、彼の書斎の机上には小型の地球儀すらない。 6. Hitler地球儀の肖像権騒動:競売の後年、Pritikinは映画「Valkyrie」でHitlerの地球儀複製の無断使用として法的行動を検討した。法的に無理との意見や、嘲笑がネット上に溢れた。収集品をTom Cruiseが買取り、Simon Wiesenthal Centerに寄付するという法廷外の方法などの意向が出でるなど落札者の本音が見える。映画「Valkyrie」に登場する2基の地球儀は件の競売品とは全く異なり重厚な地球儀である。 7. まとめ: Hitlerの地球儀の話題を紹介した。まとめると以下のとおりである。 1) 元GIがBerghofから略奪した地球儀がHitlerの地球儀として競売されたが、「Hitlerの地球儀」であるか疑問である。被爆前のBerghof内部の写真では、大広間に直径1m余の大地球儀が存在するが、Hitlerの書斎の机上には地球儀の影はない。2)落札者が肖像権を盾に映画「Valkyrie」制作者側を悩ませたが、その地球儀は落札者のそれとは全く別物で、本音はユタ゛ヤヒ゛シ゛ネスにある。3) 単なる購入者が肖像権をとれる米国司法制度と社会は異常であり、地球儀製作者の権利侵害である。4)巨大な「総統の地球儀」(Pobanz氏の伝聞による記憶)は過大ではないか。なお、チャッフ゜リンに関する彼の解釈はフ゛リューケ゛ルの影響とみる筆者とは異なるが、彼の調査は貴重である。フ゛リューケ゛ルも当時の他の画家達のテ゛サ゛インを取入れ、他の作品ではBoschをほぼ踏襲している。ついでに言えば、水木しげるの作品には、フ゛リューケ゛ルの影響が少なくない。
著者
李 善愛
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.181, 2009

本研究では、韓国のワカメ漁場利用慣行の地域的広がりを比較分析してその特徴を明らかにする。<br> 漁場は捕獲、採取される漁獲物や道具によってさまざまな種類に分類される。こうした漁場の種類の中には古い時代から行われてきたものが多く、もっとも古いのは竹防簾という定置網漁場と藿岩というワカメの天然漁場である。<br> 竹防簾は移動する魚を捕獲対象とする漁具漁場で個人が私有し、売買することができる。一方、藿岩はワカメ、イワノリのような海藻類やアワビ、サザエのような貝類などの定着性動植物を捕獲対象とする漁場で、村の共同体が漁場使用権を共有し、ほとんど売買することができない。<br>ところで、竹防簾漁場は現在韓国の南海岸の南海という特定地域を中心に分布しているが、藿岩は岩礁性海岸の地域に広く分布し、さまざまな形態の利用慣行がある。このような歴史性と地域性をもつ藿岩漁場のさまざまな利用慣行に焦点をあて、人間と自然環境とのかかわりの現在を考えたい。<br> 韓国で用いられる海藻の種類や量は多いが、その中で著しく多いのはワカメである。ワカメは日常の食料としてよく利用される。一方、非日常のお歳暮や中元のような贈答品、産婦の食事や一般人の誕生日の食事にも必ず用いられている。また、近代医学が発達した今日においてもワカメはお産の神への供え物としても欠かせない。<br> さらに、藿岩漁場で採れる天然ワカメは、量産性の高い養殖ワカメとは対照的に、珍奇なものとして、天然のものは健康によいという認識のもとで高級地域ブランド品になっているものもある。このようなワカメの社会・文化的利用と位置づけが経済的価値を高め、それと相応した形で天然のワカメが採れるワカメ漁場の利用形態は村ごとに異なり、しかも複雑な形で展開していると思われる。<br> 以上からみると、ワカメ漁場の韓国の現在におけるワカメ漁場利用形態は以下の3つの特徴にまとめることができる。<br> まずは、ワカメ漁場の使用権は大きく共有型と私有型に分けられるが、共有型が多数を占めている点である。<br> 次は、ワカメ漁場の割り当て方法は、くじ引きと輪番に分類することができる。両方とも漁場を一定数の区画に分けて割り当てしているが、くじ引きで漁場を割り当てる場合、毎年のワカメ生産量を参考しながら区画に配置する人数を調節する。輪番の場合は、班などの共同体構成員グループが決まった漁場の区画を年別に一定方向で順番に利用している。両者は、漁場の割り当て方法においては異なるが、共同体構成員間の漁場利用機会の平等性と公平性を図っている点は似ている。<br> その次は、ワカメの生産・分配形態は共同と個人に分かれる。こうした生産・分配形態を決める大きな要素は、1人当たりの漁場利用面積の大きさ、ワカメの販売先が確保できる消費地の有無やそれを決める村の立地条件などである。<br> しかし、ワカメ供給先の有無、共同体構成員の年齢構成とその一定人数の確保の可否などは、これらワカメ漁場利用形態の特徴である漁場の使用権と割り当て方法、生産と分配形態を持続あるいは盛衰を左右する大きな決め手になると思われる。
著者
奥富 弘樹 永野 征男
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2006, pp.60, 2006

<B>〔1〕研究目的</B>:近年,首都圏の通勤流動は大きく変化し,とくに郊外においては,区部を境に東・西部でその流動が異なる.なかでも鉄道整備を契機に郊外化が進み,その現象の発生時期は,西部地域から約10年遅れて東部地域が追随したと考えられる.<BR>そこで,類似した地理的条件をもつ首都圏の西部地域(多摩市) ,東部地域(印西市)を選定し,その変遷を比較した.<BR><B>〔2〕研究方法</B>:対象地における関係圏の圏域設定を行うために,通勤流動に着目した.そこで流出入のデータと交通網の発展を指標に,時系列変化を分析した.また,交通の発展が通勤者に与える影響をみるために,対象地域内の中心駅(印西市:千葉NT中央駅,多摩市:多摩センター駅)を発地とする等時間通勤圏に関して検討を加えた.<BR><B>〔3〕首都圏西部(多摩市)の事例</B>:首都圏では,1960年以降,郊外から区部への通勤者は増加傾向にあったが,1990年代後半から減少に転じた.なかでも多摩地域は,高い減少傾向がみられた.このことは,東京都の人口重心の移動が,1990年代中頃まで西進していることから,居住者が増加しても区部への通勤率が下がっていることになる.つまり,近年の多摩地域は,かつての区部通勤者の居住地から,周辺域や区外への通勤者の比重が高まりつつある.<BR>本発表では,多摩地域から多摩NTを含む多摩市を選定し,業務核都市の指定(2002),多摩センター駅の開設(1974),京王線の橋本駅まで延長(1990),多摩都市モノレールの全通(2000)を背景に,周辺地域との関係を考察した.<BR><B>a.多摩市からの流出入人口の変化</B>:1990年以降,多摩市からの通勤者数は鈍化している.流出先としては,多摩市およびその周辺域と区部に分かれ,前者は増加傾向にある.一方,流入は増加傾向にあり,80/90年では60%増を示し,90/00年は微増である.多摩市民の市内従業率は,1975年の約60%から,2000年の42%と減少し,東京周辺部に拡散する市外通勤者の増加がみられる.<BR><B>b.中心駅からの等時間通勤圏</B>:通勤者の交通手段の約60%が鉄道であることから,「多摩センター駅」について等時間通勤圏(30分/60分/90分圏)を作成した.これらの圏域は,東・南部方面に広がりを示し,一般的には,郊外都市の鉄道網は大都市方向へ充実,郊外の都市間では乗換え,迂回による所要時間を要する形状となる.<BR><B>〔4〕首都圏東部(印西市)の事例</B>:ここでは千葉県北総地域の中心都市:印西市を選定し,通勤の発地には「千葉NT中央駅」を対象とした.<BR>千葉NTは,首都圏の宅地需要に対処した多摩市と同じ目的で開発され,千葉県の企画(1966),事業開始(1969),入居開始(1979)である.事業スタートは多摩NTと同時期ながら,入居が遅れたために,期間延長となり,宅地開発公団も参画(1978)した.<BR>印西市には計画の約60%が含まれ,中央駅は住宅整備公団鉄道により開設(1984),また北総開発鉄道の都心延伸(1991)により,京成線,都営浅草線,京浜急行線による直通運転が実施された.<BR><B>a.印西市の流出入人口の変化</B>:NT内の鉄道未開通時は,JR成田線,常磐線沿線に通勤者の流出が多く,1985年以降は,新線の開通と都心へのルートが確立したことから,区部の通勤率が増大した.この関係は1995年以降に強まり,都心南部へも拡大した.<BR>流入人口は,流出人口と同様に成田線沿線の我孫子・成田市方面から多くみられたが,1985年以降は県内に拡散した.そして,中央駅周辺の業務街の始動とともに,1995年以降は船橋市などの印西市以西からの高い通勤率がみられるようになった.<BR><B>b.中心駅からの等時間通勤圏</B>:この広がりは,南西から北西方向で大きい.その要因としては,鉄道アクセスの良い西方向と,郊外都市を結ぶ路線の発達による南北方向によるものである.<BR><B>〔5〕要約</B>:以上のように,千葉NT中央駅における等時間通勤圏の広がりと,西部地域の多摩センター駅と比較すると,都心方面へ伸びる圏域の広がりと,それとは反対方向へ伸びる圏域の狭さに共通点がある.<BR>一方,郊外都市間の結びつきでは,鉄道網の形態,また運行状況の変遷が要因となり,横浜・川崎方面のへ広がりに特色があった多摩センター駅と異なり,NT中央駅では松戸・船橋・千葉市方面への郊外都市との結びつきにその特色をみることができる.
著者
北田 晃司
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2012, 2012

長崎県は、1990年代まではわが国を訪問する外国人の訪問率で上位10位以内に入っていた。2000年以降も同県を訪問する外国人観光客は数的には増加しているものの、わが国を訪問する外国人観光客の目的地としての重要性はむしろ低下傾向にある。その理由としては同県への訪問数が外国人観光客の中で最も多い韓国人観光客が近年の円高傾向によりわが国への訪問数が低下していることに加えて、他の国籍の外国人観光客についても台湾は北海道、中国はいわゆるゴールデンルート、ヨーロッパは東京、京都に加えて中部地方という具合により自らの好みに合った都道府県を訪問する傾向が強まっていることが挙げられる。特に長崎県や沖縄県などは、異国情緒を感じさせるという点では日本人観光客の高い評価を受けているものの、いわゆる日本情緒や雪景色などを求める外国人観光客からの評価はあまり高いとは言えない。しかし、その一方では近年、東アジアからの観光客を中心に、いわゆる買い物ツアーよりも、自国と日本との文化交流や日常的な食事などに対してより高い関心をもった外国人観光客も増加が見られることから、今後は長崎県に限らず、わが国の都道府県あるいは市町村は、自らの観光資源、特にその歴史的および文化的価値をあるがままに受け止め、外国人観光客に対してもより強くアピールすることが国際観光の振興に有効と言える。
著者
山下 清海 張 貴民 杜 国慶 小木 裕文
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.33, 2011

1.はじめに<BR> 中国では,多くの海外出稼ぎ者や移住者を送出した地域を「僑郷」(華僑の故郷という意味)とよんでいる。報告者らは,すでに在日華人の代表的な僑郷の一つである福建省北部の福清市で調査研究を行った(山下ほか 2010)。<BR> 今回の一連の発表(1)~(3)では,現地調査に基づいて,僑郷としての青田県の変容とその背景について考察する。現地調査は,2009年12月および2010年8月において,青田県華僑弁公室,青田県帰国華僑聯合会,青田華僑歴史陳列館,郷・鎮の華人関係団体などを訪問し,聞き取り調査,土地利用調査,資料収集などを実施した。<BR> 本発表(1)では,とくに在日華人の伝統的な僑郷としての青田県の地域的特色について考察するとともに,今日に至るまでの僑郷としての変容をグローバルな視点から概観する。<BR> 研究対象地域の青田県は,浙江省南部の主要都市,温州市の西に隣接する県の一つで,1963年に温州市から麗水市に管轄が変わったが,歴史的にも経済的にも隣接する温州市の影響を強く受け,温州都市圏に属しているといえる。青田県の中心部である鶴城鎮は温州市の中心部から約50km離れており,高速道路を使えば車で1時間あまりである。青田県は,面積2484km2,人口49.9万(2009年末)で,そのうち83.4%は農業人口という農村地域である(青田県人民政府公式HP)。<BR> 本研究の研究対象地域として青田県を選定した理由としては,青田県が在日華人の伝統的な僑郷であったこと,中国の改革開放後,青田県から海外(とくにヨーロッパ)へ移り住む「新華僑」が急増していること,海外在住の青田県出身華人との結びつきにより,青田県の都市部・農村部が大きく変容していることがあげられる。<BR><BR>2.青田県からヨーロッパ,日本への出国<BR> 青田県出身者の出国は,青田県特産の青田石の彫刻を,海外で売り歩くことから始まった。清朝末期には,すでに陸路シベリアを経由して,ロシア,イタリア,ドイツなどに渡った青田県出身者が,青田石を販売していた。第1次世界大戦中の1917年,イギリスやフランスは不足する軍事労働力を補うために中国人(参戦華工という)を中国で募集し,多くの青田県出身者もこれに応じ,終戦後,多数が現地に残留した。ヨーロッパの伝統的な華人社会においては,浙江省出身者が多いが,その中でも青田県出身の割合は大きく,改革開放後の青田県出身の「新華僑」の増加の基礎は,同県出身の「老華僑」が築いたものといえる。<BR> 一方,日本への渡航をみると,光緒年間(1875~1908)には,出国者はヨーロッパより日本に多く渡っている。初期には日本でも青田石を販売していたが,しだいに工場などで単純労働に従事するようになった。日本の青田県出身者は東京に多く,関東大震災(1923年)および直後の混乱時の日本人による虐殺により,青田県出身者170人が犠牲となった。<BR> ちなみに福岡ソフトバンクホークス球団会長の王貞治の父,王仕福は,1901年,青田県仁庄鎮で生まれ,1921年に来日した。1923年,関東大震災に遭遇し,一旦帰国したが,1924年に再来日した。<BR><BR>3.改革開放後の新華僑の動向と僑郷の変容<BR> 今日の青田県は,都市部においても農村部においても,僑郷としての特色が,人びとの生活様式にも景観にも明瞭に反映されている。<BR> 青田県の中心部,鶴城鎮には外国語学校のポスターが各所に貼られている。ポスターに書かれている学校で教えられている外国語は,イタリア語,スペイン語,ドイツ語,英語,ポルトガル語であり,この順番は出国先の人気や出国者の多さを示している。また,最近ではワインを飲んだり,西洋料理を食する習慣が浸透し,ワイン専門店や西洋料理店・カフェなどの開業が続いており,ヨーロッパ在住者が多い僑郷としての特色が強まっている。<BR> 農村部においても,イタリアやスペインから帰国した者や,出国の準備をしている者が多く,帰国者や在外華人の留守家族などによる住宅の建設が各地で見られる。<BR><BR>〔文献〕<BR> 山下清海 2010. 『池袋チャイナタウン-都内最大の新華僑街の実像に迫る-』洋泉社.<BR>山下清海・小木裕文・松村公明・張貴民・杜国慶 2010. 福建省福清出身の在日新華僑とその僑郷.地理空間 3(1):1-23.<BR>
著者
丹羽 雄一 須貝 俊彦 松島 義章
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

1.はじめに <br> 三陸海岸は東北地方太平洋岸に位置する.このうち,宮古以北では,更新世の海成段丘と解釈されている平坦面が分布し,長期的隆起が示唆される.一方,宮古以南では,海成段丘と解釈されている平坦面があるが,編年可能なテフラが見られない.これらの平坦面は,分布が断片的であり連続性が追えないこと(小池・町田編,2001)も踏まえると,海成段丘であるか否かも定かではない.すなわち,三陸海岸南部の長期地殻変動は現時点で不明である. 三陸海岸南部には,小規模な沖積平野が分布する(千田ほか,1984).これらの沖積平野でコア試料を採取し,堆積物の年代値が得られれば,平野を構成する堆積物の特徴に加え,リアス海岸の形成とその後の埋積,平坦化の過程を検討できる可能性が高い.リアスの埋積・平坦化過程の復元は,長期地殻変動の解明につながると期待される.本研究では,気仙沼大川平野において掘削された堆積物コアに対して堆積相解析および<sup>14</sup>C年代測定を行い,完新統の堆積過程,および完新世全体として見た地殻変動の特徴について論ずる.<br><br>2. 調査地域概要 <br> 気仙沼大川平野は気仙沼湾の西側に位置し,南北約2 km,東西4 kmの三角州性平野である.気仙沼大川と神山川が平野下流部で合流して気仙沼湾に注ぐ. <br><br>3. 試料と方法<br> コア試料(KO1とする)は,気仙沼大川平野河口近くの埋立地で掘削された.KO1コアに対し,岩相記載,粒度分析,<sup>14</sup>C年代測定を行った.岩相記載の際,含まれる貝化石の中で可能なものは種の同定を行った.粒度分析はレーザー回折・散乱式粒度分析装置(SALD &ndash; 3000S; SHIMADZU)を用いた.<sup> 14</sup>C年代は13試料の木片に対し,株式会社加速器分析研究所に依頼した. <br><br>4. 結果 <br> 4.1 堆積相と年代 <br> コア試料は堆積物の特徴に基づき,下位から貝化石を含まない砂礫層を主体とする河川堆積物(ユニット1),細粒砂からシルト層へと上方細粒化し,河口などの感潮域に生息するヤマトシジミや干潟に生息するウミニナやホソウミニナが産出する干潟堆積物(ユニット2),塊状のシルト~粘土層を主体とし,内湾潮下帯に生息するアカガイ,ヤカドツノガイ,トリガイが産出する内湾堆積物(ユニット3),砂質シルトから中粒砂層へ上方粗粒化を示すデルタフロント堆積物(ユニット4),デルタフロント堆積物を覆いシルト~細礫層から構成される干潟~河口分流路堆積物(ユニット5)にそれぞれ区分される.また,ユニット2からは10,520 ~ 9,400 cal BP cal BP,ユニット3からは8,180 ~ 500 cal BP,ユニット4からは280 cal BP以新,ユニット5からは480 cal BP以新の較正年代がそれぞれ得られている. <br> 4.2 堆積曲線 <br> 年代試料の産出層準と年代値との関係をプロットし,堆積曲線を作成した.堆積速度は,10,000 cal BPから9,700 cal BPで約10 mm/yr,9,700 cal BPから500 cal BPで1 &ndash; 2 mm/yr,500 cal BP以降で10 mm/yr以上となり,増田(2000)の三角州システムの堆積速度の変化パターンに対応する.<br><br>5.考察 <br> コア下部(深度38.08 &ndash; 35.38 m;標高&minus;36.78 &ndash; &minus;34.08 m) は潮間帯で生息する貝化石が多産する層準である.また,この層準の速い堆積速度は,コア地点が内湾環境に移行する前の河口付近の環境で,海水準上昇に伴い堆積物が累重する空間が上方に付加され,その空間に気仙沼大川からの多量の土砂が供給されることで説明がつく.すなわち,この区間(10,170 &ndash; 9,600 cal BP)における堆積曲線で示される堆積面標高は,当時の相対的海水準を近似すると考えられる. <br> 一方,地球物理モデルに基づいた同時期の理論的な相対的海水準は標高&minus;27 ~&minus;18 mに推定される(Nakada et al., 1991; Okuno et al., 2014).コアデータから推定される約10,200 ~ 9,600 cal BPの相対的海水準は,ユースタシーとハイドロアイソスタシーのみで計算される同時期の相対的海水準よりも低く,本地域の地殻変動を完新世全体としてみると,陸前高田平野で得られた結果(丹羽ほか,2014)と同様に沈降が卓越していたことが示唆される.コア深度36.13 m(標高-34.83 m)で得られた較正年代(9,910 &ndash; 9,620 cal BP)を基準にすると,当時の相対的海水準の推定値(堆積面標高)と理論値の差から,完新世全体として見た平均的な沈降速度は0.9 ~ 1.8 mm/yr程度と見積もられる.
著者
漆原 和子 白坂 蕃 渡辺 悌二 ダン バルテアヌ ミハイ ミック 石黒 敬介 高瀬 伸悟
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.179, 2010

<B>I 研究目的</B><BR> ルーマニアは1989年12月社会主義体制から自由経済への移行を果たした。そして2007年1月にはEUに加盟した。こうした社会体制の変革に伴って、とりわけEU加盟後に伝統的なヒツジの移牧がどのように変容しているのかを明らかにし、ヒツジの移牧の変貌に応じて地生態系がどのように変容しているのかを把握することを目的にした。<BR><BR><B>II 調査地域と方法</B><BR> 調査地域は、南カルパチア山脈中部の、チンドレル山地山頂部から北斜面を利用して移牧を行なっている地域である。調査地では、社会主義体制下でも個人所有が許され、伝統的な二重移牧が維持されてきた。この地域は、プレカンブリア時代の結晶片岩からなり、土壌の発達が極めて悪く、農耕地には不適な地域である(図1)。3段の準平原を利用した二重移牧が行なわれてきたところである。土地荒廃地は、毎年地形の計測を繰り返した。山頂部では、草地への灌木林の進入をコドラート法により調査した。礫の移動は方形区をかけ、計測した。<BR><BR><B>III 調査結果</B><BR>1)3番目の準平原上の移牧の基地に相当するJina村(約950m)では、EU加盟後も春と秋にヒツジの市を開く。EU加盟後、大規模なヒツジ農家の多くは、冬の営地であったバナート平原に定住するようになった。冬の営地であるバナート平原へのヒツジの移動は貨車とトラックを用いる。<BR>2)Jina村付近の土地荒廃は、2003年、2004年ごろがピークであった。2007年から2009年の間は侵食地の物質の移動はほとんどなく、裸地に草本が回復し始めている。これはEU加盟後のヒツジによるストレスが軽減していることを示している。<BR>3)社会主義体制下では、最上部の準平原面上をヒツジ・牛・馬も夏の営地として利用していた。しかし、EU加盟後、最上部までの移動はラムに限られ、数は激減し8000頭に満たない。20年前からPinus mugoとPicea abiesが成育を始めた地域が拡大している。これはヒツジのストレスの減少が起こった為と考える。さらに、これらの樹木はいずれも17~18年前に著しく枝分かれしていることから、ヒツジの頭数の減少は17~18年前に急激であったか、気象の異変があったと考えられる。
著者
鵜川 義弘 福地 彩 伊藤 悟
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

AR 拡張現実アプリ Junaio <br>拡張現実とは現実環境に情報を付加して見せる技術で、カメラ、GPS、コンパス、モーションセンサーを持つスマートフォン(スマホ)の出現により、画面に映し出される生の映像の中にGIS地理情報システムから得た情報を重ね合わせて見せる「位置情報型AR」として利用できるようになった。 スマホARアプリJunaioを使用すると、地理情報を保存する自前UNIXサーバと連携させることにより「自分たちが表示したい情報」を「表示したい緯度経度の位置」に、スマホの画面に浮かぶ「エアタグ/バルーン」として出現させることができる。 Junaioにはコンパスとモーションセンサーを用いてカメラを向けた方向の別画像を見せるパノラマモードが存在し、別の日時に撮影したパノラマ写真を表示して、同じ方向に見える現実の風景と比較することもできる。 <br>Googleスプレッドシートの利用<br>Junaioの地理情報は、自前UNIXサーバにXMLという言語で書いてアップロードしなければならないが、これをUNIXサーバの操作知識を持たない教員が登録/変更するのは難しい。そこでExcelの表と同様だが、インターネットに接続されているWebブラウザから利用できるGoogleスプレッドシートを用いることにした。このシートはユーザを編集者として登録すれば、同じ表を共有して同時に編集することも可能である。自前UNIXサーバ側では、シートの内容をPHP言語のfile_get_contentsという方法で読み取りJunaioに転送する。このことにより、登録・編集が簡単で教員の変更内容もリアルタイムに反映できるようになった。
著者
関口 直人
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

<B>Ⅰ.はじめに</B> <BR>モータリゼーションの進展により,人々の移動手段は自家用車へと変化し,公共交通機関は衰退へ追い込まれた。特に地方の鉄道や路線バスは苦しい経営となり、代替バスへの転換や第三セクター化もみられるが、1999年の鉄道事業法の改正により鉄道事業に対する参入と退出の自由が認められ経営の苦しい第三セクター鉄道も廃止されるようになった。 <BR>経営が苦しい鉄道路線が多くなる中で,2011年3月11日に発生した東日本大震災はJR線,私鉄線に大きな被害を与えた.震災の被害から全線運休となったが,復旧を遂げた路線やBRT化を進める路線もあるが,鉄道を復旧させるためには費用面など様々な課題がある.被災した第三セクター鉄道には国からの補助により復旧費用は全額負担となったが,過疎化により,利用者が減少しているなど問題が山積みである. <BR>本研究では,東日本大震災で大きな被害を受け,全線運休から一部区間の運転を再開した岩手県三陸鉄道を事例とし,東日本大震災での被害状況と現在までの復旧状況を整理し,運休中の従前の利用者の移動方法,復旧後の利用状況、これまでの研究から三陸鉄道の主な利用者は高校生であることが明らかになっていることから,沿線高校生の震災前後での交通行動の変化を明らかにすることを目的とする. <BR>1年以上の鉄道運休は利用者にどのような影響を与えたのか,震災以前の利用者は回復しているのか,鉄道運休中にはどんな移動方法をとっていたのか把握することは三陸鉄道の震災の影響や,新たな施策の検討につながると考えられる.なお,本報告では,国、県、沿線自治体の補助により復旧計画として掲げた第一次復旧が完了したことから、2012年4月を「現在」と定義する。<BR><B>2.研究方法</B> <BR>三陸鉄道の現状を知るために,『鉄道統計年報』,『岩手県移動報告年報』によって年間乗降人員,沿線人口を整理し,三陸鉄道の震災後の利用状況について知るために三陸鉄道利用者へのアンケート調査,旅客流動調査,沿線高等学校3年生へのアンケート調査を行い,それぞれ分析を行った.<BR><B>3.研究結果</B> <BR>三陸鉄道利用者へのアンケート調査結果は,平日の利用者の中心は、沿線に居住し、日常的に通学目的で三陸鉄道北リアス線を利用する高校生であり、休日の利用者の中心は岩手県外に居住し、低頻度の旅行・観光目的で三陸鉄道北リアス線を利用する広い年齢層にわたる観光客であった。三陸鉄道不通時の移動手段として自動車による送迎、バスでの移動である。また,旅客流動調査からは朝,夕方は高校生の通学定期での乗車が多く,日中は団体割引乗車券で乗車の団体観光客,現金や普通乗車券で乗車の通院や買い物目的の利用が多い.輸送断面は始発駅と終着駅、学校が近隣に立地する駅で利用が多い. <BR>沿線高等学校に対するアンケート調査結果からは、通学や通学目的以外で三陸鉄道北リアス線を利用している生徒はごく一部である。三陸鉄道北リアス線を利用していない生徒の通学や移動手段は自動車による送迎や自転車が多く、居住地によって移動手段が変わる。震災以前から通学に三陸鉄道北リアス線を利用していない生徒が多い。 <BR>震災以前と震災後で三陸鉄道利用者の利用状況に大きな差はない。
著者
高柳 長直
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018-06-27

1.はじめに<br> フードシステムのグローバル化への対抗として,あるいは成熟化した食生活の反映として,農産物や食品の地域ブランドが日本では多数みられるようになった。2006年に地域団体商標の制度が始まり,さらに2015年から地理的表示保護制度による登録も開始された。こうした変化に対し,報告者をはじめとして生産や流通の側面からの調査・研究は蓄積されてきたが,消費の側面からの地理学的研究はほとんどみられない。そこで,本報告では,地域ブランド農産物を消費者がどのように認知しているのかを居住地域の相違から明らかにすることを目的とする。<br> 今回は,とくに牛肉を対象とした。日本国内の牛肉市場は,輸入自由化以降,大きく変化した。輸入品と競合する乳用種に代わり,比較的低コストで生産できる交雑種と黒毛和種などの肉用種が市場をリードするようになった。このことは,国産牛肉が品質志向を強めることを意味し,肉用種のなかでも黒毛和種の牛肉がほとんどを占めるようになった。しかし,一方で褐毛和種など,黒毛の牛肉とは外観も肉質も異なるブランド品もある。そこで,このような品種の牛肉も含めて20種のブランド牛肉を対象とした。<br>2.調査方法<br> 消費者のブランドの認知,牛肉の消費経験,嗜好,購入の際の重視点などについて明らかにするため,インターネット調査を利用して,314件の回答を収集した。ただし,登録されているモニターは偏りがあるので,消費者の代表性を確保するために,性別・年齢・居住地域を考慮して予め割付を行い,アンケートの対象を設定した。被調査者の居住地域については,首都圏,関西圏,地方圏に大まかに区分し,地方圏については非黒毛和種の牛肉産地がみられる岩手県,高知県,熊本県と,新興の黒毛和種産地の一つがみられる石川県とした。<br>3.結果<br> 全国19の牛肉ブランド(および比較として「オージービーフ」)の認知度は,日本三大和牛とよばれる牛肉が高く,いずれも約9割の消費者が知っていた。日本三大和牛は,松阪牛,神戸ビーフおよび近江牛または米沢牛を指すことが多く,四大和牛ともよばれる。これらに次いでいるのが,飛騨牛である。また,前沢牛と佐賀牛も多いが,前沢牛は関東,佐賀牛は関西でやや認知度が高い。<br> それに対して,いわて短角牛,くまもとあか牛,土佐あかうしといった非黒毛和種の牛肉の認知度は1~2割の低い水準に留まった。ただし,それぞれの県内の消費者に限定すると認知度は約9割と非常に高い水準であることがわかった。また,それぞれの県内消費者で,当該牛肉を食べたことのある人の割合は約8割,購入したことのある人の割合でも約5割であり,ナショナルブランドではないが,ローカルブランドとして一定の地位を確立していることが判明した。これらの牛肉は,そもそも生産量が少ないので,産地以外ではほとんど流通していないが,それぞれの地域では,県などの行政を中心としたプロモーションが行われているので,このような結果につながったと考えられる。<br> 消費者が各ブランド牛肉に対してどのような価格イメージをもっているか,ここでは5段階評価で質問した。認知度が60%くらいまでは,消費者の価格イメージは緩やかに上昇し,それ以降,急激に上昇している。とくに価格が高いと思われているのは松阪牛であり,他ブランドから群を抜いている。それに神戸ビーフ,近江牛,米沢牛といった三大和牛が続いている。このように認知度と価格イメージの関係は,概ね指数近似していると言える。<br> 牛肉の料理ごとの消費者嗜好では,年齢による相違をある程度確認することができた。しかしながら,地域による牛肉料理の嗜好に相違は見られなかった。一般に,東の豚肉,西の牛肉と言われ,実際その消費量の地域差もみられる。今回の調査で,関西の方が関東よりも,わずかに牛肉の頻度が高いことがわかったが,特筆すべき相違とは言えなかった。むしろ,地方圏が大都市圏よりも,牛肉の消費頻度が低いことのほうが気になる結果であった。<br>4.まとめ<br> 牛肉の地域ブランドには全国的に知名度が高いナショナルブランドと産地の県内で認知されるローカルブランドに大別される。認知度が高いほど高価格が期待できるが,それは一部のものに限定されることが判明した。
著者
板垣 武尊
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

長期かつ経済的な旅行を志向するバックパッカー(以下BP)は,目的地に滞在する際には低廉な宿泊施設を利用する.その結果,観光地や交通の結節点となる大都市には,バックパッカー・エンクレーブと称される安宿街が形成されてきた.ところが,近年ではBP自体が大きく変わりつつあり,高級志向でインターネットの宿泊施設予約サイトやSNSを好むフラッシュパッカー(以下FP)が出現した(Molz and Paris 2015).また,新たな動向として中国人BPも存在感を増しており,その特徴には,旅行期間が短いこと,SNSで旅行の同行者を募り集団で行動して旅行費用を削減すること,旅の出会いを求めることなどが挙げられる(Luo et al 2015).<br> このように,時には高級志向で,インターネットを好むFPの出現に伴い,BP向け宿泊施設においても,対応する設備やサービスが求められるようになってきた.Musa and Thirumoorthi(2011)やHiransomboon(2012)によれば,BP向け宿泊施設の評価基準は,立地,設備,従業員の性格,清潔さ,オンライン予約の可否,情報(旅行ガイドブック,予約サイト,友人からの推薦),予算,割引の有無などが挙げられる.また,SIMフリー・Wi-Fiの普及,オンライン予約サイトの発達などによって,バンコクにおけるBP向け宿泊施設の立地傾向は,バックパッカー・エンクレーブであるカオサンロードへの一極集中から,地下鉄とスカイトレインの沿線に拡大したことが報告されている(Hiransomboon 2012).<br> 中国雲南省元陽の観光資源は,2013年に世界遺産に登録された棚田とそれを耕作するハニ族の民族文化である.元陽は1992年に外国人に開放されると,経済活動の中心地である新街鎮のバスターミナル沿いに外国人BP向けの安価な宿泊施設が集積した.2013年以降は,マスツーリストに加えてBPが増加し,有料展望台と観光村が設置されている多依樹にFP向け宿泊施設が集積した(板垣 2017).本研究では,オンライン予約サイト上の口コミを収集し,2013年以降多依樹に増加したFP向け宿泊施設の評価を分析する.<br> 2016年1月現在,多依樹における宿泊施設は,個人マスツーリスト向けが元坪道路沿いに,FP向けが集落(普高老寨14軒,黄草嶺3軒)に集積している.普高老寨のFP向け宿泊施設は,集落入り口(7軒),集落内部(2軒),集落内棚田眼前(5軒)の3ヶ所に立地している.これらの立地の違いは,客室からの棚田眺望に関わる.黄草嶺のFP向け宿泊施設は全て集落内の棚田眼前に立地している.<br> 現地調査は,2009年8月,2011年2~3月と8~9月,2014年5~7月,2015年12月~2016年1月に行った.宿泊施設および観光施設の分布,土地利用(新街鎮・多依樹)を把握するために,歩測およびGoogle Earth衛星画像,旧ソ連製10万分の1地形図「ЮАНЬЯН」(1978年発行),百度地図の判読を行った.<br> オンライン予約サイトの口コミの分析には,テキストマイニングソフトであるKH Coderを利用した.多依樹におけるFP向け宿泊施設では2017年8月までに,主要予約サイトであるtrip advisor,Agoda,Booking.comのいずれかの829件の口コミがあり,英語で書かれた488件を分析した.次に,中国の主要予約サイトであるCtrip(携程旅行网)の中国語口コミ1,106件を分析した.口コミは予約サイトごとの評価項目によって点数化されるため,全ての評価,高評価,低評価の3種に分類し,それぞれの抽出語と出現頻度を把握した.そして,抽出語のつながりを分析するため,共起ネットワーク図を作成した.<br> 多依樹におけるFP向け宿泊施設の口コミ数および点数は,英語と中国語で大きく異なる.<br> 英語と中国語ともに,出現頻度が高い抽出語は,経営者,客室,観光資源,立地,サービスに分類できる.経営者は,英語と中国語ともに人柄やホスピタリティーに関する抽出語が共起された.さらに英語の口コミでは,英語力が共起された.客室に関する抽出語は,英語と中国語とに清潔さと展望が共起された.観光資源に関する抽出語は,英語の場合は棚田,村落,部屋からの展望が共起され,中国語では棚田に加えて有料展望台,日の出,多依樹,景区などが共起された.これは中国人と外国人の棚田観光の違いが浮かび上がったと考えられる.サービスでは,英語と中国語ともに食事が共起された.<br> このように,多依樹におけるFP向け宿泊施設では,経営者の人柄,客室の清潔さと棚田眺望,食事の質が重要である.加えて,経営者および従業員の英語力の差によって,外国人と中国人が棲み分けられている.
著者
中山 裕則
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2005, pp.117, 2005

.はじめに 大学生の学力低下などに対する懸念などの背景もあり、大学の卒業生に対する質の向上が求められつつある。日本大学文理学部では地球システム科学科において、日本技術者教育認定機構(Japan Accreditation Board for Engineering Education:以後「JABEE」と呼ぶ)による認定を目指し、準備を進め、2004年5月に認定を受けて、同年春に認定後初の卒業生を社会に送り出した。本報告では、日本大学文理学部における地球システム科学科の教育プログラムがJABEEによる認定を受けるまでの経緯、学科の体制、プログラムの特徴、認定による影響、今後の課題などについて述べる。2.地球システム科学科のJABEE認定地球システム科学科では、1999年のJABEE設立後、地質学会、応用地質学会、地下水学会などを中心に開始された地球・資源の分野におけるJABEEによる認定制度の検討に合わせて、学科内で認定を目指した準備を開始した。具体的には、2001年に学科内で本格的な議論が開始され、プログラムの見直し、体制の整備、申請準備、議論等を経て2003年に認定のための申請を行い、2004年春、学習・教育プログラム「地球システム科学科」が"地球・資源およびその関連分野"での認定を受けた。その春にはJABEE認定後初の卒業生67名を社会へ送り出すことができた。3.学科内の体制 認定へ向けて技術者学習教育プログラム「地球システム科学科」とその学習・教育目標を設定し、技術者教育委員会を組織して体制を整備した。技術者教育委員会は2004年末現在、委員長、幹事長、幹事をはじめとし、学習・教育の目標、教育方法、達成度評価、教育改善、アドバイザーをはじめとする10部会で構成されている。4.プログラムの特徴 学習・教育プログラム「地球システム科学科」の構成は、講義科目とトレーニング科目の2つを柱とし、それぞれが導入、専門、応用プログラムへと順に進む流れとなっている。1年次は導入プログラムとして地球科学やその他の理学に関する基礎的なことがらを、2年次は専門プログラムとして専門的な知識を学習・トレーニングし、3年次では科学調査と研究法の具体的な科目と技術者としての倫理観に関する科目、およびより専門性の高い講義科目で構成される応用プログラムを経験する。この後,4年次で個々のテーマによる研究により、実践的な研究指導を受けて、様々な課題に対応可能で柔軟な知識と技術を身につけることを目指す内容とした。特徴としては、第1に、地球科学を理解するためには講義による知見や野外で修得した観測結果をとりまとめる能力を必要とする観点より、野外および室内における実験・実習科目を通じた実践的なトレーニング教育の重視を掲げる点と、第2として、講義などで得た自然現象に関する知識を野外において実際に体験・確認することで理解を深めるために、1年次から野外での実習科目を設けてフィールドワーク教育に重きを置いている点をあげることができる。5.認定による影響 JABEEの認定により、教育科目に対し4年間を通した具体的な学科の教育・学習の目標が示され、これに沿った教育の実施と評価により、学生および教員の双方に緊張感が生まれたことは認定による影響として指摘できる。また、卒業生の中にはすでに技術士として社会の第1戦で活躍している技術者も多く、その人たちからの期待が寄せられ始めていることも事実である。 一方、認定により教育の質的保証と向上が強く求められるため、各教員の自覚、卒業生に対する責任がさらに必要となった。また、研究だけでなく教育に対する寄与、教育の継続的な改善も求められているため、各教員へのプログラムの維持と改善ための責任と分担が増し、以前に比べて教育に費やす時間が増加したことも事実である。そのため教員を含めるスタッフの強化が必要になっている。6.今後の課題 JABEE認定を受けた学習・教育プログラム「地球システム科学科」は、実績がまだ浅く、体制、内容、目標など今後、いっそうの充実が必要であり、実際に改善を続けている。この更なる充実には、学生の要望の取り込み、外部アドバイザーや卒業同窓会との連携による社会的要望の取り込みなどが必要であり、特に認定後の卒業生の社会での技術者としての活躍とその効果のフィードバックも必要と考えられる。さらは、JABEEのプログラム内容の社会や学内に対する紹介と共に、取組みによる成果の公表も必要と思われる。
著者
久木元 美琴 西山 弘泰 小泉 諒 久保 倫子 川口 太郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.23, 2011

近年,大都市都心部での多様な世帯を対象としたマンション開発にともない,子育て世帯の都心居住や都心部での保育所待機児童問題が注目を集めている.都心居住は職住近接を可能にするため,女性の就業継続における時空間的制約を軽減する一方で,都心部では急増した保育ニーズへの対応が追い付いていない.そこで,本研究は,都心湾岸部に居住する子育て世帯の就業・保育の実態とそれを可能にする地域的条件を明らかにする.発表者はこれまで,豊洲地区における民間保育サービスの参入実態を明らかにしてきた.本発表では,共働き子育て世帯の属性や就業状況,保育サービス利用の実態を検討する.<BR>調査方法としては,豊洲地区の保育所に子どもを預ける保護者を対象に,2010年11月にアンケート調査を実施した.豊洲地区に立地する13保育所のうち,協力を得た7保育所(認可5施設,認証2施設)において,施設を通じて配布し郵送にて回収した.総配布数659,総回答数207(31.4%),有効回答数203(30.8%)であった.このうち,豊洲1~5丁目在住の170世帯を抽出し分析対象とした.<BR> 結果は以下のとおりである.全体の9割が2005年以降に現住居に入居した集合住宅(持家)の核家族世帯で,親族世帯は4世帯と少ない.世帯年収1000万円以上,夫の勤務先の従業員規模500人以上が7割程度と,世帯階層は総じて高い.また,夫婦ともに企業等の常勤や公務員といった比較的安定した雇用形態で(70.0%),ホワイトカラー職に就く世帯が全体の過半数を占める.さらに,夫婦の勤務先は都心3区が最も多く,それ以外の世帯の多くも山手線沿線の30分圏内と,職住近接を実現している.<BR> ただし,帰宅時間には夫婦で差がある.普段の妻の帰宅時間は19時以前が147回答中141で,残業時でも20時以前に帰宅する者が多い.他方,夫は残業時に20時以前に帰宅する者は少数で,23時以降が最も多い.残業頻度が週3日以上の妻は約2割である一方で,夫は半数近くが週3日以上の残業をしている.<BR>また,回答者の約6割が待機期間を経て現在の保育所に入所している.待機中の保育を両親等の親族サポートに頼った者は4世帯に過ぎず,妻の育児休業延長や,地域内外の認可外保育所や認証保育所などの民間サービスによって対応していた.予備的に行った聞き取り調査では「確実に認可保育所に入れるために,民間の保育所に入園した実績を作っておく」という共働き妻の「戦略」も聞かれた.さらに,妻の9割近くが育児休業を,約8割が短時間勤務を利用している.妻の過半数は従業員500人以上の企業に勤務しており,育児休業取得可能期間が長く短時間勤務の利用頻度も高い傾向にあるなど,充実した子育て支援制度の恩恵を享受している.<BR>以上のように,本調査対象の子育て世帯は,夫婦共に大企業に勤務するホワイトカラー正規職が多く,職住近接を実現している.特に,充実した子育て支援制度や,民間保育所を利用し認可保育所に確実に入所させるといった戦略によって,就業継続を可能にしている.ただし,妻の働き方は必ずしもキャリア志向ではないことが特徴的である.<BR>また,回答者の過半数が現在の保育所に入所する前に待機期間を経験し,待機期間には妻の育児休業の延期や民間サービスの利用で対応している.この背景には,当該地区における豊富なニーズを見越した民間サービスの参入があると同時に,これらの子育て世帯が認可保育所に比較して一般に高額な民間保育所の保育料を支払うことのできる高階層の世帯であることが示されている.
著者
池谷 和信
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.243, 2008

<BR>1.はじめに<BR> アフリカを対象にした地域研究は、1950年代後半以降現在まで約50年の伝統を持って学際的に行われてきたが、地理学もその重要な部分を構成してきた。地理学では、自然地理学における環境変遷史研究、人文地理学における土地(自然資源)利用の変遷に関する研究などに焦点がおかれ、近年では、従来の地理学の枠にとらわれずにアフリカの地域像を構築することをねらいとした2册の単行本(のべ約900頁)が刊行されている(池谷ほか 2007、2008印刷中)。<BR> その一方で、アフリカ各地の地誌・民族誌のなかで通時的資源利用プロセスの復元のためにGPSやGISが使われてきた。佐藤は、空中写真、地形図、衛星画像などの資料に加えて地域住民に対して詳細な聞き取り調査をすることで、エチオピアの焼畑民マジャンギルによる環境動態の復元を行っている(佐藤2003)。このほかにも、GISや地理資料を利用した地域研究は、アフリカの他の地域でみられる。<BR> この報告では、GISを使用したアフリカ研究が、これまでのアフリカ地域研究に対して、どのような新たな貢献をすることができるのか?ここでは、あくまでも地域研究をさらに進展するためのツールとしのGISに注目したい。具体的には、筆者がこれまで約20年間にわたって現地調査を行ってきたアフリカ南部に位置するカラハリ砂漠(とくにボツワナ)に焦点を当てる。撮影年代の異なる航空写真や地形図や人口分布図を利用する一方で、これまで筆者自らが収集してきた数多くの地名の分布特性などを他の地理情報とのかかわりから分析する。<BR><BR>2.カラハリ砂漠の景観変遷史<BR> カラハリ砂漠は、日本の約2倍の面積を有し、ボツワナを中心として南部アフリカの内陸部に広がっている。ここでは、年間の降雨量がおよそ500mmであり、その降雨量は12月から3月までの雨季に集中しており、その年変動も大きい。また、対象地域のサバンナ景観を考える場合には、灌木の広がる地域だけではなく、降雨後に水が貯蓄されるパンと呼ばれる窪地、サバンナのなかで点在するウッドランドなどの森林景観、かつてのかれ川の跡であるモラポと呼ばれる地形の分布を無視することはできない。とりわけ、パンの大部分には必ず地名が付与されている。さらに、この地域では、狩猟採集民サン(ブッシュマン)や農牧民カラハリの人びとが暮らしてきており、彼らの集落やキャンプ地や畑地(スイカやササゲなどの栽培)があちこちに点在する。これらのことから人類の踏み後のみられない場所はほとんどなく、何らかの人為の作用した景観を構成してきた。<BR><BR>3.アフリカ環境史へのGISの貢献-ミクロからマクロへの展開-<BR> 近年、アフリカ地域研究のなかで、冒頭で述べたようなGISを利用した各地の環境動態研究や資源利用研究が報告されてきた。筆者は、それらを十分に活用することで、環境変動と人間活動のかかわりに関する研究に貢献でき、新たなアフリカ地域像を構築することができると考えている。しかし、そのためには、本稿の事例のみではなく、中部アフリカにおける熱帯雨林、西アフリカにおける森林・サバンナ移行帯、東アフリカにおけるサバンナなどの地域事例を加えて、アフリカ大陸全体の環境史に関するデータベースの構築が必要であろう。それを通して、自然が豊かで歴史なき大陸であるといわれたアフリカではあるが、自然に対する人為作用に関して新たな枠組みを提示することができるであろう。なお、筆者が所属する国立民族学博物館では、約24万点の標本資料(諸民族の生業、儀礼、技術にかかわる用具類など)の情報をHP上で公開している。このうちアフリカを対象にしたものは約2万3千点となり、アフリカ大陸の文化的地域性を把握するためにこれらを使用してのデータベースの作成も、今後の課題として残されている(大林ほか1990参照)。<BR><BR>参考文献<BR>大林太良ほか(1990)『東南アジア・オセアニアにおける諸民族文化のデータベースの作成と分析』民博研究報告別冊 11号。<BR>佐藤廉也(2003)「森林への人為的作用の解読法」池谷編『地球環境問題の人類学』世界思想社 <BR>池谷和信・佐藤廉也・武内進一編(2007):『朝倉世界地理講座-大地と人間の物語-11 アフリカI』朝倉書店。<BR>池谷和信・武内進一・佐藤廉也編(2008印刷中):『朝倉世界地理講座-大地と人間の物語-12 アフリカII』朝倉書店
著者
木本 浩一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.100043, 2011

中国に次ぐ経済発展によって注目されるインドではあるが、ホットスポットや生物多様性など環境面での懸念や、人口圧力や人権、地域間格差など多くの複雑に絡み合う構造的な諸問題を抱えていることは言うまでもない。 これら諸問題を検討する際に、個々の諸問題や要因を単に「その関連においてみる」ということではなく、それらを「地域的文脈においてみる」ということの重要性を強調したい。例えば、近年注目されつつある経済特区(SEZ)の場合でもその経済効果や影響という側面のみならず、多層的な地域的文脈のなかに位置づけて検討することが可能である。ここで言う「地域的文脈」とは、多様なスケールによって構成されるという(客観的な)側面と、「行為者にとっての地域」が(主観的に)構成されるという側面、という両面によってなる方法的枠組みのことである。その際、抽象的に構成される(と考えられる)「地域的文脈」が具体的「地域」に投錨する形で具体的な土地に関するコンフリクトが生じる。 以上を踏まえ、本研究では、インドにおける土地利用をめぐる正当性と合法性の相克について、いくつかの事例を取り上げながら検討してみたい。 もちろん、正当性の根拠としての合法性という観点からすれば、「相克」は次元を無視した問題設定であるかもしれないが、法的根拠に基づいた各アクターの行為が地域的文脈のなかで衝突しているという現実からすれば、合法性によらない秩序はいかにして可能かという課題に直面することになる。このことは同時に、「方法としての土地利用」という観点の可能性を示唆することにもなる。 本研究で取り上げる事例は、以下のとおりである。1)高規格高速道路建設の事例(図1)、2)都市郊外における反都市化の事例、3)「違法」建築物撤去問題、4)指定部族(ST)に対する再定住集落に関わる問題、などである。いずれもカルナータカ州(南インド)南部の事例である。
著者
竹本 統夫 浅見 和希
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<b>日本と比べ広い範囲で降雪が観測できるスウェーデンでは、春になると融雪によって河川の流量が大幅に増加し、時には水害を引き起こす。この融雪出水はヴォールフロードと呼ばれ、スウェーデンを代表する自然災害の一つに数えられている。しかし近年では、その発生傾向に変化が見られる。特に南部では冬季の積雪が減り、発生規模の縮小が著しい。北部を流れるカリクスエルヴェンと南部のエムオーンの二つの河川の流量とその周辺の気象データの1961年~2013年の推移を調査したところ、北と南の両方で気温が上昇傾向にあり、北部で融雪次期が2週間から1ヶ月ほど早まっている一方で、南部では冬季の積雪または降雨が短時間で流出し、融雪出水の規模が小さくなる傾向にあることが明らかとなった。また南部では、夏に集中豪雨が増え年間の流量のピークが春から夏に移動する傾向も見られた。</b>
著者
佐々木 達
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

<b>1.課題の設定</b> <br>&nbsp; 東日本大震災から時間がたつにつれて地域経済の再構築は被災地にとって喫緊の課題となっている。とくに、地域経済の一翼を担う農業の復興を図るうえで障害となっているのは、農産物に対する風評被害である。除染やサンプル検査などが行われる中で沿岸部では津波被害からの営農再開が進みつつある一方で、安全とされる農産物が敬遠され、消費者も農産物を安心して消費できない状況が継続している。 しかし、風評被害問題も農産物が売れないという単純な話でとらえるべきではない。原発事故を契機とした問題の長期性と根深さが加わっているが、農産物流通のあり方や地域農業の再建、そして今後の地域の在り方をどうするのかという問題の立て方が必要である。それらの課題に先立ち、本報告では、福島県いわき市を対象にして、消費者の農産物の購買行動を把握することにより風評被害の実態を明らかにすることを目的とした。今回は、アンケート結果の中から野菜の購買行動を中心に検討を行う。&nbsp; <br><br>&nbsp;<b>2.アンケート結果の分析</b> <br>&nbsp; 分析の結果、明らかになったのは以下の点である。①野菜の購入先は食品スーパーが主流である。震災前後で購入先に大きな変化は見られない。②野菜を購入する際に重視されているのは産地、鮮度、価格の3要素である。風評と関連する放射性物質の検査はこれに続く結果となっており、原発事故以降に新たな判断材料として加わったと見ることができる。③購入産地は県外産にシフトしているのが現状である。ただし、産地表示や検査結果を気にしている反面、その判断する情報リソースは二次情報、三次情報である可能性も否定できない。④購買行動において国の基準値や検査結果に対して認知されているが,信頼度という点においては低い結果となっている。野菜の購買基準は,「放射性物質の検査」と答える人も多いが,風評とは関連性のない「価格」を挙げる人が多い。しかし、「価格」要因は消費者サイドに起因するのではなく現在の小売主導の流通構システムから発生している可能性がある。一般的に風評被害は、消費者が買わないことにばかり目を向けがちであるが、市場・流通関係者の取引拒否や産地切替などの流通システムからも風評は生まれることを看過してはならない。 &nbsp; <br><br><b>3.復興支援のあり方―調査から発信・共有へ―</b> <br>&nbsp; 風評被害は、消費者だけでなく小売店、農業生産者など様々な主体の思惑が錯綜する中で実体化している。今後、風評被害を払拭するための支援のあり方には、地元の消費者と情報を共有・発信しながら課題認識の場を作り出していくことが重要であると考える。なぜなら風評被害に対する正確な現状把握や調査もほとんど手が付けられておらず、「目に見えないもの」に生産者や消費者がただただ翻弄される状況がいまだに続いているからである。正確な現状認識のための研究調査の重要性を認めつつ、その成果を地域の住民とともに共有し、課題を乗り越えるための復興支援調査との両輪で被災地の復興に参加することが重要であろう。
著者
池田 亮作 日下 博幸
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

都市の気温は, 都市化の影響を大きく受けていると考えられており, 都市の暑熱環境の悪化は, 熱中症など都市住民の健康にも影響を与えうると不安視されている. そこで, 街区の風通し, ドライミスト・街路樹の設置などの暑熱環境緩和策への関心が高まっている. これらの効果を, 数値モデルを用いて評価するためには, 街区スケール(10<sup>2</sup>~10<sup>3</sup>m)から建物周辺スケール(10<sup>1</sup>m)の現象を計算できるモデルが必要となる.そのためには, 建物を解像し, 街路樹の効果もモデルに反映させる必要がある.本研究では, 街区・建物周辺スケールのシミュレーションが可能なモデルの開発を行い, 現実都市における熱環境シミュレーションを行った.
著者
平井 幸弘
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理要旨集
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.235, 2008

<BR>1. 「IPCC地球温暖化第4次評価報告書」<BR> 2007年2月~5月、IPCCの「地球温暖化第4次評価報告書」が提出された。このうち気候変動に関する最新の科学的知見を評価した第1作業部会報告書では、1906年~2005年までの100年間で世界の平均気温は0.74℃上昇、最近50年間の長期傾向は過去100年間に上昇した気温のほぼ2倍、海水面は20世紀の100年間で17cm上昇、また1970年代以降とくに熱帯・亜熱帯地域でより厳しく、より長期間の干ばつが観測された地域が拡大、北大西洋の強い熱帯低気圧の強度が増してきたことなどが記されている。そして、気候変化の影響、社会経済・自然システムの適応能力と脆弱性を評価した第2作業部会の報告書では、氷河・氷帽の融解による氷河湖の増大・拡大、山岳での岩雪崩の増加、海面上昇による海岸侵食など、すでに世界の各地で起こっている温暖化の影響についても、明記されている。<BR> このような地球温暖化による様々な影響は、場所によっては、これまでその地域で経験したことのない大災害を引き起こしたり、災害の発生頻度が高まったりする場合もある。地球温暖化との直接的な因果関係は証明されていないが、2005年8月にアメリカ南部を襲ったハリケーン・カトリーナや、本年9月~10月のサハラ以南のアフリカ諸国での記録的洪水、また11月にバングラデシュを襲ったサイクロンなどによって、数千人規模の死者や数十万・数百万人の被災者が出ている。このような近年の状況を考えると、今後温暖化に伴う地域規模・地球規模の災害が、ますます深刻な問題となることが懸念される。<BR><BR>2. 地球温暖化への緩和策と適応策<BR> 先のIPCCの報告書では、たとえ温室効果ガスの濃度を安定化させたとしても、今後数世紀にわって人為起源の温暖化や海面上昇は続くとされる。そのため温暖化に対しては、温室効果ガスを大幅に削減する緩和策とともに、将来の不可避的な干ばつや洪水などの気象災害や、継続的な海岸侵食などに対する適応策を、早急に検討・実施していく必要がある。この場合、発生する災害現象は、それぞれの地域の自然システムの特徴や相違、また社会・経済システムの脆弱性の大小によって、影響の範囲や規模、災害の様相は大きく異なる。近年は経済の急激なグローバル化によって、とくに開発途上国における貧困化の進行、観光業の発展による大量の人の移動、大規模な灌漑施設の整備・過剰揚水等による土地の荒廃など、地域における災害に対する脆弱性が増大しているところも多い。<BR> したがって、地球温暖化への対応として講じられる適応策は、それぞれの地域の自然および社会・経済システムを十分に把握した上で、実施されなければならない。<BR><BR>3. 地理学からのアプローチ<BR> 例えば、すでに世界各地で深刻な問題となっている「海岸侵食」問題を例に挙げてみたい。ベトナム北部の紅河デルタの海岸や、中部のフエのラグーン地域、また南部のメコンデルタの海岸でも、それぞれ激しい海岸侵食が起こっている。紅河デルタでは三重に築かれた海岸堤防の海側2列が侵食により決壊し、多くの住民がすでに移住を余儀なくされている。フエ・ラグーンでは、1999年の大洪水をきっかけに砂州が複数ヵ所決壊し、その周辺で急激な侵食と砂丘の崩壊が起きた。メコンデルタでは、海岸のマングローブが侵食され後退する一方、内陸側ではエビの養殖池の造成のためマングローブが広く伐採されている。このように、それぞれの海岸の地形や水文条件、また開発の歴史や生業、集落組織、文化などの社会・経済条件などを、十分調査した上でなければ、各地域に有効な適応策は考えられない。そのためには、まず現場の実態把握と、災害メカニズムの科学的調査、そしてそれぞれの地域における住民を含めた適応策の検討が必要である。<BR> このようなグローバルな環境変化や災害現象に対して、すでに地理学の立場から多くの調査・研究がなされている。本シンポジウムでは、近年あるいは今後懸念される「地球温暖化」と関連する様々な災害についての報告をもとに、地理学の様々な分野から、今後の地域・地球規模の災害への対応について幅広く討論したい。