著者
藤本 康雄 池上 忠治 日向 進 山口 重之 西田 雅嗣 竹内 次男
出版者
京都工芸繊維大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1993

研究分担者池上は本務(神戸大学文学部長)の都合上、先発隊としてフランスのパリとオーストリアのウィーンに赴き、関連予備調査と準備折衝にあたった。パリでは国立図書館、クリュニ-中世美術館、ル-ヴル美術館等、ウィーンでは歴史美術館、美術アカデミー美術館等を歴訪、ヴィラール・ド・オヌクールの画帖関連の絵画、彫刻を中心に調査を行った。その結果を後着の本隊に連絡報告の後、帰国した。調査本隊は8月末にパリに到着、レンタカ-(ルノ-・エスパース)を調達し、ヴィラールの修業地ヴォ-セル修道院と、オヌクール・シュル・エスコ-にヴィラール・ド・オヌクール協会本部を訪問することから調査活動を開始した。協会役員と資料・情報の交換を行い、ヴィラールの画帖に描かれた水車利用自動鋸装置の模型等を調査、藤本は協会員に推挙された。ランス大聖堂調査に際しては、1984年学術調査時に採取したゴシック建築家ユ-・リベルジェの墓石拓本の寄贈を果たした。ドイツではニュルンベルク国立博物館及びウルム市立古文書館で、中世羊皮紙図面多数を閲覧、一部実寸写真複写を入手した。チェコではプラハにP.パルラ-作の大聖堂を調査し、文化財保護局を訪問、ヴィジ・ブロッド修道院に、ヴィラールの画帖所載図面と類似のリブ・ヴォ-ルト架構建物を調査した。スロバキアのコシ-ツェではヴィラールが関与したと伝えられる聖エリザベート教会堂の実測を行った。ハンガリーではブダペストの文化財保護局と国立博物館でピリシュ修道院遺構の情報を得、その調査を実施、画帖所載分と類似の床タイル拓本等を得た。次いでオーストリアのウィーンに入り、美術アカデミー古文書館で建築古図面の実測調査を行い、一部複製を入手したほか、ザンクト・ステファン教会堂の建築家像を調査した。スイスではザンクト・ガレン修道院平面原図の調査を行ったほか、ロ-ザンヌでヴィラールの描いた大聖堂南袖廊バラ窓修理現場において実測調査の機会を得た。再度フランスに入り、ポアチエでは大聖堂聖歌隊席木彫に木の葉模様図案を見出し、またスケアの実測を行った。シャルトルでは大聖堂床舗石の迷路について、部分に留まったが拓本を採りを果たし得た。パリに戻りクリュニ-中世博物館に館長A.E.ブランデンブール氏を訪問、同氏の口ききで国立図書館秘蔵のヴィラールの画帖原本閲覧の念願が遂に叶った。写真撮影は許されなかったが、従来の複写本との比較で原図実寸を確認した。また一部の図柄に、何時の時期か不明であるが薄青色の着色を認め得た。一方、画帖研究家として知られるR.ベッシュマン氏と会い、意見・情報交換を行った。画帖所載投石機の模型復原と投擲実験は注目すべきものがあった。われわれのヴィラール・ド・オヌクール協会訪問と、同会に寄贈した藤本による画帖研究書は、直ちに会報に記事が掲載され11月例会に招待を受けるなど、大きな反響を呼ぶことになった。フランスほか6ヵ国にわたり旅程約12,000キロ、20余都市で訪問・調査した機関・建物は多数に及び、知遇、援助を得た人は数知れない。手続きや時間的な制約もあった中で、写真撮影も相当数をこなした。収集資料等を含め、その成果は多大であったといえる。現在、図面・写真・スライド等を鋭意整理中である。研究担当者藤本が平成6年3月末を以て本務校を退官することになるので、拓本資料はすべて、美術工芸資料館に寄贈し、分担者竹内のもとで整理保管することとした。その他の資料は、分担者日向、西田らの研究室に引き継ぎ、保管することになった。分担者西田は調査成果の一部を研究報告に導入しており、担当者も発表準備を進めているところである。ヴィラール・ド・オヌクール協会からは引き続き、雑誌記事のための照会が来ており、別途関係者からも藤本研究についての書信が寄せられるなど、今後の国際的研究へ進展が見込まれるに至ったことも一方の大きな成果であるといえよう。今回の現地調査により、ヴィラール・ド・オヌクールがハンガリーに赴いて旅を重ねた事績に、ある程度の裏づけを得た。また画帖に盛られたスケッチに類似の画題を多数見出し得たことや、画帖におけるローマ尺・カロリング尺の尺度用法について、われわれの仮説を実証し得たかと見られることを以て大きな成果と見たい。