- 著者
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池田 さつき
- 出版者
- 千葉大学大学院人文社会科学研究科
- 雑誌
- 千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
- 巻号頁・発行日
- no.24, pp.95-107, 2012-03
名前が(Frege 流の)意義をもつと見なすことは、しばしばそれが内包や記述的意味の類をもつと見なすことであると考えられてきた。John McDowell は、この考えに強く反対し、我々に必要なのは意義の理論として利用可能な指示の理論のみであるとする指示-依存的な意義解釈を提示する。けれども、本稿の筆者の見る限り、彼の意義解釈は、任意の名前の正しい指示はいかにして決定されるのかという問題を棚上げし、そうした正しい指示の存在をいわば前提として意義の、つまりは理解の理論を与えることを含意する。本稿は、そのような前提に依存することなく意義を指示-依存的に解釈することは可能でありまたより望ましいことを論じたうえで、McDowell の定式化した意義解釈の基本的な枠組みを継承しつつそれを独自に展開したGareth Evans の意義解釈がまさしくそうした要請にこたえていることを示し、指示-依存的な意義解釈の一つの展開の道筋を跡づける。