著者
池田 貴子 (原島 貴子)
出版者
慶應義塾大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2007

本研究は、英国チューダー朝初期という変革期-すなわち、人文主義の芽生え・宗教改革・写本文化から印刷文化への移行などの変化のあった時代-における、歴史叙述・時間意識の表象の問題を取り扱っている。人文主義の印刷業者John Rastellが自著出版したThe Pastyme of People(1529-30)を中心に、チューダー朝初期年代記の形態(叙述および挿絵・レイアウトを含めた書物の構成要素)を分析し、一つ一つの年代記の頁に表出する歴史観・時間意識について考察を続けてきた。各種の年代記を精査するなか、本年度は特にLondon Chronicles伝統に注目した。これまでの調査の総括より、中世を通じて主に修道会などの聖職者による制作が盛んであった状況が徐々に変わり、ことにチューダー朝初期には年代記の形態やジャンルの意識にも変化が生じていたことが分かってきた。London Chroniclesとは、15世紀以降に盛んになった市民による歴史叙述で、現在も多数の写本が伝わっている年代記を総称して学者が呼んだもので、作者不詳のまま、市民階級の書き手によって叙述が引き継がれていった特色がある。写本間で、内容と形態(本文構成・パラテクスト要素)に共通の要素も認められている。そして調査からは、それらの伝統と一見無縁のような印刷本の年代記の中にも、様々な形でその影響の継続性と変質の模様がうかがえた。本研究は、John Rastellおよび息子の印刷業者のWilliam Rastellがそこに果たした役割を明らかにした。このような、15世紀のLondonChronicles伝統の成り立ちの過程、さらに16世紀における変容は、ルネサンス期の英国文学研究において極めて重要な歴史的背景を与えるにも関わらず、未だ殆ど注目されていない。本研究の成果が公表されることで、状況打開へ向けての一石を投じる意義が期待されよう。