著者
河原田 康史
出版者
京都産業大学日本文化研究所
雑誌
京都産業大学日本文化研究所紀要 (ISSN:13417207)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.254-214, 2017-03

宮崎友禅斎は、洛東の知恩院門前辺りに居住し、天和~享保(1681~1736)頃に活躍した。友禅斎は「絵扇」で一躍有名になり、その絵模様を「小袖」にも描いた。友禅斎の名前にちなみ、現在では「友禅染」という名称が、広義では「キモノの染物全般」を、狭義では「挿し彩色」を指して用いられることが多い。友禅斎については、生没年や生没地、妻子の存在、加賀友禅との関係などにおいて不明な事柄が多い。 本稿では、北法相宗音羽山清水寺が所蔵する宮崎友禅斎筆「白衣観音図」扁額について論じる。扁額右下には、「奉納者である歌舞伎役者名」と「制作者である友禅斎」の署名がある。「奉納者である歌舞伎役者名」を判読できると、友禅斎が京都で扁額を制作した年号が大方理解できる。 本稿の構成として、最初に研究報告会で発表した内容を基に、「白衣観音図」扁額に関する先行研究について整理する。次に先行研究における私見を述べると共に、扁額右下にある署名を判読するために、扁額の拡大写真を用いて「奉納者である歌舞伎役者名」について考察する。最後に研究報告時に筆者が仮説として立てた「奉納者である歌舞伎役者名」の真偽を検証するため、その後の研究によって新たに明らかになった事柄について考察する。