- 著者
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並松 信久
- 出版者
- 京都産業大学日本文化研究所
- 雑誌
- 京都産業大学日本文化研究所紀要 (ISSN:13417207)
- 巻号頁・発行日
- no.20, pp.208-173, 2014
本稿は近代日本における食養論の展開を考察した。食養論にはさまざまなものがあるが、代表的な食養論である石塚左玄(1851-1909)の食養論、桜沢如一(1893-1966)の正食論、そして久司道夫(1926-)のマクロビオティック(以下はマクロビ)運動を取り上げた。これら3 人の食養論は全く異なるものではなく、つながりがあった。現在のマクロビ活動の由来は、ほぼこの3人の事績に負っている。食養・正食・マクロビなどの言葉に共通する意味は、程度の差はあるものの、人間の長寿と健康のためには、穀物と野菜を主体にした伝統的な和食がもっとも望ましいものであり、こうした食事法を実践していると病気にかかりにくいということであった。 陸軍の薬剤監であった石塚は、伝統的な養生論の考え方を継承し、西欧近代科学の影響を受けて、カリウムとナトリウムのバランスによる人体の生理を追究した。桜沢は石塚の思想を継承した。しかし食養論を一般化するために、西欧近代科学を用いるのではなく、陰と陽の両極によって世界を統一的に解釈する「易」の哲学を用いた。これによって人体や生命を総合的にとらえることを主張した。そして桜沢の弟子である久司がアメリカで啓蒙活動を行なうことによって、食養法の実践が広まっていった。 これらの食養論はそれぞれ論点が異なるものの、科学的な根拠に乏しく、常に近代科学からの批判にさらされた。これに反して日本ばかりでなく、世界でも受け入れられた背景には、その時々の社会状況や社会関係があった。食に関する議論は、それを取り巻く時代背景に大きく左右されるということを認識することが必要である。1 はじめに2 石塚左玄の食養論3 桜沢如一の正食論4 久司道夫の啓蒙活動5 結びにかえて