著者
河野 誠哉
出版者
教育思想史学会
雑誌
近代教育フォーラム (ISSN:09196560)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.175-188, 2002-12-04 (Released:2017-08-10)

科学の名を冠する調査的実践の歴史的系譜のなかで、児童という存在はいかなる分析視角のもとで捉えられてきたのか。こうした問題関心のもとに、本稿は、近代日本において取り組まれた2つの大規模児童測定調査(明治期における医学士・三島通良によるそれと、大正末における心理学者・大伴茂によるそれ)をとりあげ、これらを分かつ「隔たり」に注目するところから出発して、近代日本の児童研究の系譜のなかで児童を対象化するまなざしの根本的な転換について論じる。ここで本稿が指摘するのは、個人性への分析視角の移動と、それに伴って生じた教育臨床的なまなざしの成立という局面である。また、そのうえで、大正末から昭和初年にかけての時期において、このような根本的な転換をへて生まれることになった新しいタイプの科学的知の実践のもつ、近代学校論的な含意について検討していく。それは、当時の学校システムが直面しつつあった危機的状況への対応として、新たに要請された実践であったというのが、ここでの論点である。