著者
河野 友哉
出版者
北海道大学大学院文学院
雑誌
研究論集 (ISSN:24352799)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.39-51, 2021-03-31

三善清行が延喜七年に著した『藤原保則伝』は、地方官として備中・備前・出羽・大宰府などで活躍した〝良吏〟藤原保則の事績を記す、漢文体の伝記である。従前の研究史においては、作品の叙述は主として〝良吏〟保則の側から分析されることがほとんどであったが、作中にはその対極にある〝悪吏〟も描かれていることに注目し、その〝悪吏〟を俎上に載せようとするのが本稿である。かかる〝悪吏〟の描写を、先行研究にも拠りつつ具体的に検討してゆくと、わずかな罪や不法行為にまで目を光らせて恐怖政治を行う者や、私利私欲を満たすために苛酷な徴税に走る者など、まさに〝悪吏〟と呼んで然るべき悪政の様子が看取される。前者はその恐怖政治を以てしても何らの功も上げ得ず、儒教的な徳治では当然無いが、律令的な法治とも到底言い難いものであり、後者はその強欲さ・貪欲さという一点において、一〇世紀初頭に新たに立ち現れてきた「受領」に近い存在と言うべきであった。そして、いずれの場合においても、〈国司の個人的な素養や道徳性の如何といった属人性が問われなくなっていった〉という社会変動がその背景に潜んでいるように思われる。かように考えてみると、本稿で取り上げた〝悪吏〟たちは、古代的地方支配の要であった国司の属人性が無効化されていった時代を象徴する存在として描かれており、その点にこそ彼ら〝悪吏〟たちの意義が求め得るのではなかろうか。その上で、作者清行は、漢籍の表現に範を取りつつも単なる断章取義に留まらず、当時の我が国が直面していた〝古代的地方支配の不可能性〟という問題の一端を『保則伝』のテキスト上に具現せしめたのだ、と言うことも決して不可能ではないのである。