- 著者
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津屋 弘達
Morimoto Ryohei
Ossaka Joyo
- 出版者
- 東京大学地震研究所
- 雑誌
- 東京大学地震研究所彙報 (ISSN:00408972)
- 巻号頁・発行日
- vol.32, no.3, pp.289-312, 1954-09
伊豆大島三原山の昭和26年の噴火は,2月4日開始,4月1日頃まで約2ケ月間,連続噴火し,小休止ののち,更に間歇的噴火を繰返して6月28日に終った.2月及び3月の噴火は,昭和25年,26年の噴火期間を通じての最高潮であった.われわれは,この連続噴火を,第2期の活動として,前回詳述した昭和25年7月16日-9月23日の第1期の活動[地震研究所彙報32号,第1冊,35-66頁1及び,4月2日以降6月28日に至る第3期の活動と区別して,ここにその噴火経過を詳しく記述した.第2期の噴火は,三原火口の西半で行われた.とくに,前年の噴火によって生じた噴石丘頂上附近から,火口北西縁に至る,南東-北西方向の裂線に沿って演ぜられた(第72-73図参照),すなわち,爆発的活動は,噴石丘西側火口底に形成された熔岩々滴丘の活動に始まって,噴石丘頂上火孔の定常的爆発活動へと,南京に移行し,一方,熔岩の溢流は,熔岩々滴丘よりの流出に出発して,火口北西線に沿う火孔群から長期にわたって溢流するようになる.この結果,火口原(カルデラ底)北西に拡がる熔岩原が形成された(第120図).この期の終りに,噴火は,火口の東半に移り,次期活動の前駆と見なされる,火口北東隅からの熔岩溢泣かはじまる(第73図b).この月間を通じて,火口中央の噴石丘をも含めて,火口底の西半は,局部的及び一時的沈下はあったが,全般的に,上昇を続け,3月下旬活動休止後急激に沈下した.この火口底の上昇,沈下は,それぞれ,岩漿の上昇と,熔岩溢出によるガス圧の低下によるものである.火山微動の盛衰も,この火口における噴火の消長と,きわめてよく調和していた(未完).