著者
海野 福寿
出版者
明治大学史学地理学会
雑誌
駿台史學 (ISSN:05625955)
巻号頁・発行日
vol.91, pp.1-34, 1994-03-30
著者
海野 福寿
出版者
明治大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1996

本研究は、韓国併合に至る1904-10年の日韓関係について、その間に結ばれた『日韓議定書』(1904年)、『第1次日韓協約』(1904年)、『第2次日韓協約』(1905年)、『第3次日韓協約』(1907年)、『韓国併合に関する条約』(1910年)などの諸条約締結過程を中心に外交史的考察を行ったものである。日露戦争開戦後、日本は韓国外交権に介入する道をひらき、戦後直ちに保護条約締結を強要し、韓国を保護国とした。さらにその2年後、韓国内政権を奪取する条約を強制し、ついに1910年に韓国を併合し、日本の植民地とした。それは日本の朝鮮侵略の過程であり、不当なものであることはいうまでもないが、諸条約は法的に有効であると考えられている。これに対し、韓国における歴史研究は、諸条約は両国間の合意に欠けるばかりでなく、締結手続き上の欠陥と条約形式上に瑕疵があり、無効=不成立であったと主張する。その結果、韓国併合は不成立であり、日本の朝鮮支配は合法的な植民地統治ではなく、強制占領であったとする。あるいは、法的根拠がないまま行った植民地支配は不法であったのだから、それに対する謝罪と賠償を日本に求めるという論理である。このように日本と韓国とでは、日本の朝鮮支配についての歴史認識に大きな差異があり、『過去の清算』の障害となっている。私見では、諸条約は不当ではあるが、有効とみるが、この研究では、可能なかぎり詳細に史実を検証し、その論拠を明らかにすることに努めた。この研究では、ソウル大教授李泰鎮の『条約無効=植民地不法論』を批判したが、これを契機に展開されるであろう論争が、不毛な結果に陥ることがないよう、より実証的な歴史分析の上にたち、広く日韓の研究者に開かれた形で展開されることを期待している。

2 0 0 0 韓国併合

著者
海野福寿著
出版者
岩波書店
巻号頁・発行日
1995
著者
海野 福寿
出版者
明治大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1992

1990年5月の慮泰愚韓国大統領の来日を契機に提起された朝鮮人強制連行問題は、その後の韓国人被害者が提訴した補償請求裁判やジャーナリスト・市民グループによる調査研究によって、動員の実態が明らかにされつつある。それは日本人に朝鮮植民地支配の責任を自覚させるうえで大きな役割を果たしたが、歴史学的見地からみた時、いまだ体系的・構造的にはとらえられていないように思われる。本研究は、そのような現状をふまえ、主として公開資料によりながら朝鮮人強制連行を政策史的観点から跡づけようとするこころみである。主要論点は以下のとおりである。1.強制連行の定義:植民地における強制連行の"強制性"を物理的強制としてではなく、法律と命令による法的強制に求めた。これにより占領地における労働力徴発や俘虜の強制労働と区別した。2.強制連行政策:3段階に区分される強制連行の政策的展開を、朝鮮における労働力再配分計画および戦争末期の軍要員確保政策との関連で位置づけた。3.動員規模:国外への動員数のみならず、朝鮮国内動員数についても把握することに努めた。推計値は国外119万人、国内319万人である。4.動員実態:韓国政府記録保存所所蔵の「倭政時被徴用者名簿」により慶尚北道48,021人分、慶尚南道29,864人分について実態分析を行った。5.違法性:1930年国際労働総会採択の「強制労働ニ関スル条約」等の労働規約の観点から朝鮮人強制連行の違法性と日本政府の責任を明らかにした。