著者
深澤 芳樹
出版者
独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1999

日本列島にタタキ技法が初めて現れるのは、弥生土器においてである。その技法は、すでに高い水準にあったことから、自生したとは考えられず、その由来を海外に求めざるをえない状況にあった。その候補にはこれまで、灰陶系統の瓦質・陶質土器があったが、これは本研究の3つの視点、つまり道具・製作工程・身体技法から、とても肯首できるものではないことが明らかである。最近、朝鮮半島の無文土器のうち、松菊里式土器にタタキメとおぼしき凹凸痕が、発見されることが増えてきた。本研究経費を用いて、大韓民国で忠清南道寛倉里遺跡や忠清南道古南里貝塚の資料を詳細に観察した。そしてこれらの凹凸痕に揺れや振れなどがなく、器具を圧着してできた痕跡であることを確認し、5〜6cmごとで不連続部分があり、その圧着は円弧状タタキメのパターンを描くことを確かめた。この結果、これら松菊里式土器の平行条線は、平行タタキメそのものであり、さきの3つの視点からみて、この松菊里式土器製作にかかわった技法こそが、日本列島の弥生土器が習得したそのものであるとの結論に達した。現在、このタタキメをもつ松菊里式土器は、朝鮮半島の南西部に偏在する。このタタキ技法は、楽浪土器のそれとは異系統であることから、その伝播経路は、海を越えて山東半島に求めることになる。中国大陸海洋沿岸部には、縄タタキによらない印紋硬陶文化があるので、その起源地にこれを据えることが最も蓋然性の高い理解であると考える。つまり弥生土器のタタキ技法は、大陸沿岸から朝鮮半島西南部に伝わり、これが日本列島に達したものである、との仮説を提起する。今後は、これらの技法と楽浪・三韓土器の技法を比較検討し、研究対象地域を広げたい。